マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

125年前に日本に届いた風

2か月前、父が亡くなった。身体は失われ、触れることも声を聴くこともできなくなった。それなのに亡くなってから父の存在を自分の内に感じるようになった。5本の指で文字をタイプするとき、ふと何かを考えながら天井を見上げるとき、仕事の段取りを確かめるプロセスをたどる頭の中でも、どこかで父とともに行っているような気がすることがある。

思えば、私のこの身体の半分は父の遺伝子で出来ている。彼が存在しなければ私はいなかったと思い至る。彼が生きている間は、父と私は別個の存在だった。心情的には近寄ったり離れたりしながらも、物理的には明らかな境界があった。しかし片方が身体を失い、明らかだったはずの境界がぼやけてきたかのようだ。

125年前、マルセイユを出発した5人のシスターが長崎に着き、日本での宣教活動が始まった。熊本に小さな一つの家を持ち、言葉を覚え、習慣を学ぶ。先行きの見えない小さな存在だった。たくさんの方々の援助、導きがあり、熊本から人吉、札幌へ広がり、昭和6年には東京に病院ができた。日本人シスターの数は増え、発展と広がりの時期だった。だが最近は会員数が減り、多くは高齢者となった。父と同じように、存在して目に見える形は変わり、失われつつあるのかもしれない。

最初の 5人は、池に落とされた小石が波紋を生み続けるように、出会っていく人々との間に「伝えそして伝えられる」「与えながら受け取る」運動を始めた。その動きに共鳴してくださり、ともに働いた多くの人々がいる。その125年間のひとつひとつの出来事は、今は目に見えなくなっても、数えきれない人々の中に確かに生き続けているのだと思う。

風が生み出した波が岸にたどり着き、そこに立つ子どもの足を濡らし、濡れた足が岸辺の砂をそれと知らずに別の土地に運んでいくように。

(Sr.M.O)