マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

瀬田修道院(1974年11月4日創設)

創設時の姉妹たち:Sr.平井篤子(管区長)Sr.野村洋子 Sr.谷口和子  Sr.武田清見 Sr.林  京                                  Sr.斎藤 ハツエ   Sr.大垣淑子  Sr.市川文代   Sr.ミラグロス・アラルコン                                         Sr.ユージニア・バイロン・コート(責任者)

当時は聖母病院に管区館がありましたが、手狭で2部屋のみだったため、瀬田に管区館を設立することになりました。修道院の建築に関しては、Sr.フランソワ・レミとSr.アグネス高木が関わられ、1974年11月4日に開院、移転し、共同体のメンバーも初めの頃は流動的でした。

瀬田は、戦争時には疎開先にもなっていたような都心から離れたところで、当時は高島屋が建ったばかりでしたが、まだ畑が多く辺鄙な場所でした。修道院に個室はなく、備え付けの家具もなく、洗面のためには洗面器に水が供給される形だったので、瀬田修道院が個室完備、洗面台もあり、備え付けの家具もあることは非常に画期的なことでした。

Sr.メリー・ダルトンはその時宇都宮修道院の所属で、秘書の仕事のために土日だけ瀬田に来ていましたが、その個室には“狂喜乱舞”していました。それが「瀬田御殿」とも呼ばれた所以です。外階段があったのも新しいことでしたが、泥棒よりも火事の方を恐れて、階段の入口に鍵を付けなかったという話もあります。管区館としては、宣教から帰ってきた姉妹たちの滞在を創立当初から受入れ、また海外からの訪問客に対してもいつも扉を開いていました。

何よりも瀬田修道院の隣にはOFMの修道院があり、共同体生活の中でもたくさんの兄弟姉妹としての関わりがありました。ある年のクリスマスイブには、料理係の姉妹が「自分はクリスマス料理は出来ない」と言うのを聞いたイタリア人のブラザーが、自ら卸屋に行って材料を調達し、シスターたちのためだけに腕を振るい、最高のクリスマスディナーを用意してくださったこともありました。その心づかいがどんなにうれしかったことか!また、玉川の花火大会はその当時から開催されており、毎年管区館の屋上を開放してOFMの兄弟たちを招き、楽しい時間を過ごしました。思い出せば隣と行ったり来たり…その交流は兄弟姉妹的な忘れられないものでした。