研修のためイギリスに滞在している三ヶ月の間に、エリザベス女王の崩御という大きな出来事がありました。王室史上最長と言われる在位70周年を記念した今年、祝賀ムードから一転してイギリスが悲しみに包まれました。国葬当日は国民の休日となったこともあり、私の研修もお休み。参加者のシスター達と、一日中テレビ中継されていた国葬の模様に釘付けになっていました。国内の多くの人が、女王の帰天を残念に思い、女王の為に祈っていました。
カトリック教会でも女王の写真を飾り、追悼ミサが数多く立てられていました。日本人の私の感覚からは、意外な感じがして少し驚きましたが、彼女が多くの人に慕われていることがとてもよく伝わってきました。私は英国国教会とカトリック教会の関係が実際どのようなものなのかをよく知りません。しかし、女王がキリスト者の一人として、色々な立場の人々から尊敬されていることにキリスト教一致の光を見た気がしました。人々のために自分の人生を捧げ、その生き様を通して愛を伝えたということでしょうか。
女王の崩御に当たって、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige〉という言葉を思い起こしています。王侯貴族の特権には、責任と義務が伴うことを示している言葉のようですが、人間として誇り高く生きようとする人にとって、責任と義務は外から押し付けられるものではなく、深い愛情の念から起こってくる自発的な使命感に近いものがあるのではないかと推察します。女王の功績については色々な評価や批判もあるのかも知れませんが、命を燃やし尽くして人生を全うした一人のキリスト者から学ぶことは多いような気がします。テレビには、女王を見送る人々が映っていました。私も彼らと共に彼女を見送りながら、キリストのもとに憩うエリザベス女王の永遠の安息を祈らずにはいられませんでした。
(Sr.A.M.O)