マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

種子島修道院(1970年4月24日創設)

* 創設時の姉妹たち:Sr.工藤美子  Sr.大寺久子  Sr.河本美智子  Sr.宮沢ふさみ  Sr.野口ユキエ

記録の上では1970年4月24日創設と書かれていますが、はっきりと記憶していません。ザベリオ会の神父様からの話がきたという事で、Sr.フランソワ・レミから打診がありました。市長さんの招聘で保育園創設のために行ったと思いますが、Sr.フランソワ・レミに言われて行った時にはまだ修道院はなく、ひとりで旅館に泊まって、市長さん、旅館の人の助けを借りて、土地探しをしました。最初は中種の飛行場近くという事でしたが、当時はまだ飛行機の時代ではなく、船の着く港近くの土地を捜しました。市長さんが谷戸と呼ばれていた垂直の崖の上の土地を勧めてくださいましたが、あまり人が寄り付かない地域でした。市長さんは皆が近寄りがたく暗い雰囲気の地域をシスターたちが住むことで明るくしてほしいという意向があったようで、私たちの存在は喜ばれました。その土地を購入し、旅館を引き払い、修道院が建つまで近くの普通の家(土地の大家さん)に、間借りし住んでいました。はっきり覚えていませんが、長かったように思います。

土地の前の方は畑にしましたが、崖の上なので風当たりが強く、台風の時は大変でした。保育園を始めるのはかなり後の事でしたが、人吉幼稚園から足踏み式の小さいオルガン、本類、少しの玩具などを持って行きました。遊具もないので海岸に降りて石や貝殻を拾い、色を塗って遊具を作り少しずつ増やしていきました。島にはピアノは高校に一つあるだけで、町長さんはピアノに憧れておられたようで、人吉からの小さなオルガンを眺めてとてもがっかりされたようでした。

大きな家具などを一人で動かしたために腰を痛め、寝たきりで養生したことが印象に残っています。保育園ができるまで、地域の人との関わりは、島に3人くらいいた信者さんがお墓参りにいらした時に寄って話して行かれたりと、修道会が種子島に来たことに好意的でした。市長さんも様子を見に立ち寄ってくださったり、差し入れをしてくださったりしました。また修道院ができた後、周りに家が建ち始め、高校が近くにあったので生徒が下宿するようになり、用心が良くなったと喜ばれました。生活は大変でしたが、良い思い出でもあります。