マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

私の召命物語

私は今年、聖アントニオの祝日に修道生活70年を迎えました。これまで、ただひたすらに主イエスの道を歩んできたように思います。特別なことはないと思っていましたが、どれだけ多くに人々に出会い、導かれて今の私があると思うと、不思議なことかもしれません。これを機に私の召命を思い起こしてみようと思います。

私の家族はカトリック信徒ではありませんでした。女学生の頃、私は異国や異国人に興味がありました。当時外国からの宣教者がたくさん来日しており、私はドイツ人の神父様と出会い、カトリック要理の勉強に夢中になり、洗礼を受けました。学校を卒業し、今後の生活をどのようにしようか考えていた時に、近くに教会があったので、そこに行くとイタリアから到着したばかりのパウロ会のシスターがおられ、私をとても歓迎してくださいました。ある日、そこで出会った志願者の方が、FMMの運営している病院に行くのに付いて行きました。そこで私は、一人のシスターに出会いました。彼女は私が修道院に入りたいような顔をしていたのか、管区長に会うことを勧められ、日時を約束して帰りました。

ちょうどその時、神戸にあるFMMの学校で家庭科の先生を探しているとのことで、大喜びで受け入れくださいました。これが私の将来への第一歩となりました。初めての土地、神戸に行くことを心配した母は、姉が同行するように配慮してくれましたが、私はうれしくありませんでした。なぜなら、私が洗礼を受けたことは両親には話をしておらず、その秘密がばれることが気がかりだったからです。幸いにその時は無事に過ぎ、志願者としての生活が始まりました。思いがけない関わりからFMMの召命をいただき、主イエスが常に私を支え導いてくださったことに深い感謝と喜びしかありません。

90歳を超えた今、50人の共同体の食堂係として毎日働いています。これも私が求めたことではありませんが、与えられたので、精一杯応えています。食卓を整え、食器を数え、食器を洗い、食後は床掃除をしています。毎日同じことの繰り返しで、特別なことはありません。思えば、私は人々の生活を支えるようなことをしてきました。それは人の目に留まらないことがたくさんあります。あって当たり前のようなことだからです。でも、神様の呼びかけは、昔も今も変わらず日々の生活の中にあると思っています。そのことに信頼して、感謝のうちに喜びの日々を過ごしています。

                         (Sr.I.H)