昨年、東京ドームの教皇ミサの日…
5万人の大群衆のなかにSくんもいた。
生まれつきダウン症と重いてんかんを持っている。
ひとりの女性が叫んだ。「パパ様、こっちに来てください!この子病気なんです!」
ガードの外国人男性は首を横に振り、教皇様は通りすぎた。
彼女は諦めなかった。「パパー、こっち、こっちです!病気の子がここに!」
彼女の熱い心に押し出されて、Sくんを抱いた母はフェンスに近寄った。
神様はその祈りと叫びを聴かれた。
教皇様がパパモービルから降りてゆっくりと近づいてきたのだ。
そして…Sくんに接吻し、そっと頭に手を置いて祝福された。
過密スケジュールをこなしてこられた教皇様はお疲れが見えた。
にもかかわらず、体を支えられながら祝福にきてくださったお姿に母は涙した。
叫んだ女性とSくんは初対面だった。
信仰は自分のためではない。私の信仰は他者のためにある。
この1年、私は本物を生きただろうか。
初対面の子どものために熱く取り次ぎをしたこの女性のように…
日本の人々のためにご自身を差し出された教皇フランシスコのように…
すべての人のためにご自身を捧げ尽くしたイエスのように…
本物を生きるようにと、招かれる声が聞こえる。
(Sr. A.T)