最近ふと思い出したことがあります。もう40年以上も前のことになりますが、私がまだ2年ノビス(2年目の修練者)だった時のことです。あと数か月すると初誓願を立てて修練院を出ることになるので、年季の入ったシスターたちが生活している修道院に行って、修道生活を体験することになった時のことでした。
私が派遣されたのは、五島の小さな島にある4人だけの修道院でした。そこにいたのは50代以上のシスターたちだったので、近所の方々はまだ20代だった私を見て「若くてもシスターさんになれるの?」と一人のシスターに尋ねたというのです。それを聞いて驚いたシスターが「私たちはみんな若いときに修道院に入って、そこで年をとってきたのよ」と答えたというのです。
私もその後三十数年学校で働いて、さらに2年間被災地支援に行き、その後数年外国人の方々に日本語を教えたり、卒業生や信徒の方々と宗教の勉強をしたり、祈りの集いをしたり、教会の聖歌隊で隊員の方々と一緒に歌ったりしています。気が付いてみれば、あの島のシスター方と同じような年齢になっています。そしてあの時のことがつい昨日のことのようにも思えますし、丁寧に振り返ってみれば、たくさんの方々や出来事にであい、それらが一つ一つ年輪として刻まれているのがはっきりと見えてきます。私の人生、一本の木を作ってくださった方々に感謝。出会う方々の人生の年輪に私も何らかの役割を果たすのかと思うと、責任を感じます。一本一本の木がしっかりと根を張りながら幸せに年輪を刻めるよう願いながら、これからも日々を過ごしていきたいと思っています。(Sr. K.O)