その日は、県内の高校で合格発表がある日でした。知りあいの息子さんが中三なので、
その息子さんのため、そしてすべての受験生のために「神様、どうぞ彼らを祝福し、これまでの努力に報いてください。試験で実力が十分だせますように。」と試験前からずっと祈って
きました。
私はその日の午前中、用事があったので電車の二両目に乗っていました。最寄り駅を出発した電車は、徐々にスピードをあげていました。私は本を出して読み始めましたが、数行読んだところで、ふと外の風景に視線を移しました。電車は、細いあぜ道に設置された小さな踏切を通過しようとしているところでした。
「こんなところに踏切があったんだな。」と思いながら見ていると、小さな遮断器のそばに銀色の自転車が止まっているのが見えました。「乗ってきた人は?」と思った時、電車の警笛が大きく鳴り始めました。警笛は鳴りやみません。急ブレーキをかけた電車がようやく止まった時、警笛も鳴りやみました。そして数秒間の沈黙。「ただいま、人身事故が発生いたしました。しばらくそのままでお待ちください。」とのアナウンス。すぐに踏切のそばにあった自転車が頭に浮かびました。
警察や救急隊が到着し、一両目に乗っていた人たちが二両目に移ってきました。一両目で事故を目撃した人は、「若い男の人が、片手に携帯のようなものを持ちながら、線路の上に立っていました。電車にぶつかる瞬間は、目を閉じたので見ていません。」と警察に説明していました。私たちはそれから1時間半、電車の中で待ちました。その間、私は事故にあった人のためにロザリオを唱えていました。しばらくして、その人は亡くなったらしい、と伝わってきました。私が改札を通った時には生きていた人。電車に乗って本を開いた時にもまだ生きていた人。警笛が鳴り始めた時にもまだ生きていた人。命の尊さとはかなさが胸に迫ってきました。
私がこの地に派遣されてきたのは数ヶ月前。教会や保育園の仕事をするのが私に委ねられた仕事だと思っていました。ですが、あの日、あの電車に乗り、あの人の人生の最後の瞬間に立ち会ったことで、他にも使命があると感じました。神様は、あの人のことを忘れないように、あの人のために祈り続けるように、私をこの地に招かれたのではないか、と感じたからです。その日の夕方、あの人は中学3年生だったと報道されていました。
この世で、あなたには一度も出会ったことがなかったけれど、
中学3年だったあなたの受験のためにもお祈りしていました。
生きていた時、何の力にもなれなかったけれど、
せめてあなたのために祈り続けます。 いつか、神様のみもとでお会いしましょう。 御子の受難を共にされたマリア様、どうぞこの子のためにお祈りください。
(Sr.C.O)