私はその日の午後、仕事が終わった後で、おやつをしようと思って一人で食堂にいました。すると、一人の高齢の姉妹が窓の外に見えました。彼女は、庭の木の下で、古いほうきを手に嬉しそうに立っていました。私に気づくと、〝おいで、おいで〟というふうに手招きをしました。私が窓を開けて、「なんでしょうか?」と尋ねると、「マス―ル、マ スール(私のシスター)」とフランス語で私を呼びました。
私は一緒におやつをしようと思って、丸いお煎餅を持って、彼女の所に行きました。「どうしたの?」と聞いてみると、「見て、見て」と言いながら、私に蟻を見せてくれました。彼女は、蟻が動いたり止まったりしているのを嬉しそうにじっと見ていました。「シスター、これは日本語で何と言いますか?」と尋ねると、手にしていた古いほうきを足にはさんで、両手を使ってかわいく踊るような仕草をしながら、「蟻さん」と教えてくれました。その姿が子供みたいで可愛いなと思いました。イエス様が「子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」とおっしゃったことを思い出しました。「蟻さんは、シスターを見て喜んでいると思いますよ」と私が言うと、シスターは嬉しそうでした。
お煎餅を差し上げると、今度は「サンキュー」と英語で言いました。「蟻さんにあげないの?」と聞いてみると、シスターは蟻を探して、お煎餅のかけらをあげました。蟻は、それを運び始めました。「蟻を木に登らせてみようか」と私が言うと、シスターは「かわいそう、蟻が疲れる」と答えました。私は蟻のことも気遣っているシスターが、優しいなと思いました。「シスターは、英語もフランス語もできますね」と私が言うと、嬉しそうに「メルシー」と答えました。
その他にも、私たちのそばにある美しい木の名前がモミジで、色が緑、黄色、ちょっとピンク、赤、に変わることも教えてくれました。インドネシアの私が育った地域にはモミジの木はありませんでした。
この日、シスターは一人で庭にいて、私は一人で食堂にいましたが、シスターが手招きをしてくれたおかげで、2人で楽しい時間を過ごすことができました。私たちは、誰も一人で生きていけません。私たちは時々、小さいことであっても、お互いの助けを必要としていることを、この出来事を通して感じました。
シスターS、私の人生にとって大切なことに気づかせてくださってありがとうございました。
PS.インドネシア語で、蟻さんは、Semut(スムッ)。
ありがとうは、Terima kasih(トゥリ マカシ)と言います。 (Sr.W・G)