ベトナムの教会は、青年が多く活気に満ちた教会です。夏にはイエズス会の司祭たちが、教会に集う青年たちを集めてイグナチオの霊操による黙想会を各地で開いています。FMMベトナム管区では、毎年、黙想会のためにシスターを派遣しています。黙想会の同伴をした、3人のシスターのわかちあいです。
私たちが霊操指導グループに参加してから今年で10年になります。毎年イエズス会士や様々な修道会のシスターたちと、青年たちの黙想の同伴というすばらしいミッションの時をもっています。
この青年黙想会は、あるイエズス会士の、青年たちに霊操をさせたいという望みから始まりました。彼は黙想会のために信徒会館や司牧センターを貸してもらうように頼み、また黙想会の経済的支援や黙想会の間の食事のお世話を、教会の信徒やシスターたちに願いました。それから、仲間のイエズス会士たちに霊操の指導を頼み、霊的指導のセッションに参加したことのあるシスターたちにも助けを求めたのでした。霊操の中で「黙想のポイント」を与え、若者の話を聞き、同伴するお手伝いです。
黙想会は、毎年7月から8月に行われます。始めのころは数百人の参加者でしたが、最近では、千人以上に及び、17回から18回の黙想会が開催されています。5日間、沈黙のうちにイグナチオの霊操のプログラムにそって、み言葉によって祈ります。青年たちは、それぞれの同伴者と面接をして、祈りについてわかちあいます。霊操の目的は、真の自分の姿を知り、自己を新たにし、神を自分の最終目的として選び、神との正しい交わりを生きることです。同伴者である私たちも静かに祈り、自分の生活を振り返り、神との関わりを見直す機会になっています。
幸せな時は、容易く静けさの中で祈りに集中することができるでしょう。しかし、苦しみの中にある時、心があちらこちらをさまよい、「ここにおられる方」と共に留まるのが難しいこともあります。
黙想会の間、私たちは青年たちをありのまま受け入れ、良く聴き、彼らのフィーリングを理解するように努力しています。面接で、青年たちは自分の内に起こる様々な動きを率直に語ってくれるので、同伴者である私たちの方が、彼らの中におられる主に出会います。
ある女の子は携帯電話をいじりながら「なんでみんなが沈黙を守っていられるかわからない」と言って、静かな雰囲気に驚いている様子でした。携帯電話を使わないことなど「絶対無理」と語っていました。というのは、彼女は寝ても覚めても、いつでも携帯を使い、携帯から離れることができないのです。しかし、霊操の4日目の面接で、私の手をとって涙ながらに言いました。
「シスター、今、内的沈黙の意味がわかりました。沈黙の中で、私は自分の姿を見て、神に出会うことができました。それで、携帯を使う必要がないことがわかりました。私のすべてを神に向け、神お一人だけと一緒にいました。」そのわかちあいを聞いて、本当にうれしくなりました。
私たちが黙想会を通して若者と出会えることは、本当に大きな恵みです。私たちは、闇を照らすランプのようなものだと気づかされました。小羊を探し求める神の慈しみと愛を示すランプです。そして働かれるのは私たちの中におられる聖霊です。神に出会うと、誰でも変えられます。毎日、少しずつ、神に近づくように変えられていくのです。
黙想会の終わりに、ある学生が気持ちをわかちあってくれました。「霊操にあずかって神の愛のうちに成長し、新しい人に変えられたような気がします。たった5日間でしたが新たな道、新たな心、新たな生き方に変えていただくことができました。神のゆるしを生きる道です。私は『イエスは私たちの主、神です。』と心から宣言できます。」
神が一人一人に聖霊を豊かに注ぎ、「山から下りて」日々の騒々しく忙しい生活に戻った時、神の栄光を表わす「塩」や「パンだね」になれますように。このようなすばらしいミッションを与えてくださった神に心から感謝しています。
Therese Tho, Therese Cao Hoa, Helen Hang, fmm