アフリカのフランス語圏へ派遣される前、1年半パリでフランス語を学びました。1年たっても私は自由に話せず、スペイン、ポルトガル、イタリアの人たちをうらやましく思いました。イギリス、アメリカ、中国人たちの発音は、それぞれに自国のアクセントのあるフランス語、でも臆せず話し始めます。それにしても国によってことばが違うとは、考えてみると不思議。全世界にいくつのことばがあるのでしょう?
旧約聖書に“バベルの塔の物語”があります。世界中は同じことばを使って、同じように話していました。人々は、“天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう。”と考えました。神様はその塔を見て言われます。“彼らは一つの民で、皆一つのことばを話しているから、彼らが何を企てても、妨げることが出来ない。“ それで、神様は彼らのことばを混乱させ、互いのことばが聞き分けられなくなり、そこから全地に散らされました(創世記11章)。でも憐れみ深い神様は、人々が分かち合える霊をお与えになりました。イエス様が十字架上で亡くなられ、復活され、天に昇り、父である神様の元から使徒たちに聖霊を送られました。それで使徒たちは聖霊に満たされ“霊”が語らせるままに、ほかの国々のことばで話し始めたのです。(使徒言行録2章)。
さて、多少フランス語が理解できるようになり、外国人の多い管区に派遣されました。38名の管区で15国籍です。私たちの共通語はフランス語。 幸い38名のうちフランス人は多く、正しいフランス語を教えてもらうことが出来ましたが、年月が立つうちにフランス人は母国へ戻り、いくつかの共同体にはフランス人はいなくなりました。私の属する共同体は5人で5国籍。ちなみにコンゴ、ブルキナファソ、インド、スペイン、日本。不思議と間違いの多いフランス語でも難なくわかり合えましたが、きっとフランス人には理解できなかったでしょう。
私たちはそれぞれ固有の精神性をもっています。私は日本人の精神性をもってフランス語を話します。だから誤解も度々ありました。それぞれ全く異なる環境で育ち、異なる精神性、異なることばを使って成長して、何十年か後にここで共に生活しているのですから誤解は避けられません。でも、誤解が解けるまで忌憚なく話しあうことができたのは大きなお恵みでした。たとえことばが不自由であっても(フランス人のフランス語でなくても)私たちに与えられた聖霊が助けてくれました。それは、マリアのように素朴でフランシスコのように単純であるようにとの創立者の精神が、どこへ行っても私たちの生きる支えになっているからなのでしょう。
(Sr.N.T)