イタリアのシチリア島にある共同体に住んで一年が過ぎました。仕事は、物質的貧しさで困窮している人々との関わりが主です。時折、夜10時過ぎにパトカーがやってきて、「この方を一晩泊めてください」と、私たちに女性を託していくことがあります。警察の持つ受け入れ施設が満室なのでしょうか、事情はわかりません。ちょうど、修道院内に、入り口が独立していてベッドとシャワー・トイレのある部屋があり、そんなときここを使います。たいていは、夫や恋人のDVから逃れてきたケースです。時には「相手が凶器を持って追いかけてくる可能性がありますが」と警察から言われることもあります。そんな状況の中で私たちのもとで一夜を過ごすことになった女性の安堵した様子は、忘れることが出来ません。翌朝、警察が車で女性を迎えに来て、たいていは、隣町の空港から安全な場所に逃れて行きます。
数日前の夜11時。また呼び鈴が鳴りました。今度は警察ではなく、女性と小さい男の子が立っているのがモニター画面を通して見えます。隣町に住むこの女性は、交際中の、私たちの住む町の男性と口論の末、息子ともども追い出され、宿泊費がなく、彷徨歩いて修道院の門の前に行きあたり、藁をもつかむ気持ちで呼び鈴を押した、と泣いています。翌朝一番のバスで自分の町に帰るということでしたので、いつもの部屋を利用してもらいました。翌朝には、入れたてのコーヒーと熱いミルクにクッキーを差し上げました。8歳になる男の子は「・・・ママは泣いちゃうし。僕たち、この知らない町を夜、歩きながら、100回もお祈りしたんだよ」と私に話してくれました。
きっと、この男の子は将来、どんな困難にあった時も、この夜のこと、そして神に信頼することを思い出すのではないかしら、と想像し、神様の宣教のユニークさに思いを馳せた私でした。( Sr.A.T )