マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

シスター山崎イサと新しい修練院

img_0006ウイットリッヒさんの森の近くに新しい修練院が建てられ、新しい共同体のメンバーが決まった時、数名のプロフェス(誓願者)の中にSr.山崎も入っていた。彼女は畑の仕事をしながら、修練院の昼食作りも担当してくださった。小さい身体に割烹着をつけ、一寸彼女には高すぎる炊事台に向って、いつも落ち着いた物腰で料理をしていた。手間のかかる献立にもかかわらず、料理はしっかりと時間に出来上がっていた。はじめは日本食が多かったが、日を経る毎に若人向きの洋食が食卓に並び始めた。ノヴィスたちにいろいろと教わり、一つ一つに挑戦しておられたから。私たちは彼女の若々しさに、その年齢を訊ねることもなく過ごしていたが、ある日おやつをしながら何かの話の折に彼女がすでに80歳を過ぎていることを知り、みなでびっくりした。20代、30代の若者達が毎日80歳を越えた姉妹に昼食を作ってもらっていたわけで、信じられないこと、受け入れがたい事だったのである。(といってもその後しばらくは彼女の若さと腕に甘えて、食事作りは続けていただいたのであるが…。)

img_0007建物から日課に至るまですべてが修練者向きにできていた生活様式の中で、一言の苦情も言わずいつも柔和に過ごしていた彼女がどんなに多くを捧げていたか私たちが気づいたのは、しばらく後のことで、ある日急に発熱して3日ほど休まれた後、その時のことを振り返りながら話してくださったからであった。「管区長様から異動を言われて従順で受け入れたものの、それはそれは心配で、緊張のために夜も眠れなかった」と。その結果としての発熱だったらしい。けれどもその3日間の過ぎ越しで復活してからは、彼女がその後修練院で寝込んだ事がなかったほど元気に修練院の生活に適応されていたのだった。共同の祈りの時も、共同祈願は積極的にご自分の言葉で祈っておられた。こんな事もあった。いつもロザリオの祈りの意向は先唱者が皆の希望を聞いてから始める習慣があった。ある日先唱のノヴィスが「今日の意向は何にしましょうか?」と皆に問いかけると、Sr.山崎がすかさず、「感謝のために」と提案した。とっさにノヴィスは「ハッ、感謝、感謝のため? ハイ、感謝のためですね。ソウシマショウ!いつも出てくる「願い事」の意向とは視点の違ったこの提案に先唱のノヴィスの反応がしどろもどろで可笑しかった。純粋に「感謝」、「賛美」のゆえに祈ることの素晴らしさを、あの時皆が味わいながら唱えたロザリオだった。

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ある時、神父様の霊的講話があり、テーマは「感謝」であった。講話の始めに神父様が「皆さんは、毎日どんな事に感謝していますか?」と質問され、いつも良く聞こえるように神父様のそばに席を占めているシスター山崎の顔を覗き込んで、「シスターは?」と訊ねた。彼女は「毎日生かされていることを。」と即座にはっきりと答えられた。はにかんだ顔が幸せそうだった。

修練長から何かで叱責された時など、ノヴィスたちはよく台所にいって黙って、シスター山崎が調理しているそばで手伝っていた。そばにいるだけで癒されるのを感じていたという。