沖縄本島北部の本部(もとぶ)半島から、美しく澄んだエメラルド色の東シナ海をフェリーで北西に30分、中央にとんがり帽子のような、「イージマタッチュー」(城山(ぐすくやま))がそびえる珊瑚礁の島、「伊江島」が訪れる人を優しく温かく迎えてくれます。
島でたった一つのこの山は標高が172mしかないのに、周りが平らで裾野が広く、とっても高く見えるので「伊江富士」とでも呼びたいような容貌で、島民自慢の山です。
農業、漁業、観光、民泊(修学旅行生の民家宿泊体験)が中心の人口約4800人のこの離島は、花々や自然の美しさに加えて、「ゆいまーる」(たすけあい)、「ちむぐくる」(「肝心」と書きます)(共に在る心、優しさ、思いやり)、「いちゃりばちょーでー」(出会えばみな兄弟)に生きる人々によって「癒しの島」となっています。
不思議なことですが、ウチナンチュー(沖縄の人々)の生き様を表わすこのような島くとうば(島言葉)の中に、イエス様の想いが宿っていることを実感するのです。今回はその癒しの一例をわかちあいたいと思います。
教会の隣でお土産屋さんを営みながら観光や島の農産物関係の仕事に携わり、私たちも日頃お世話になっている山城克己さんと絹枝さんご夫妻が、昨年8月に17日間、小学生の頃から約5年間学校を休みがちになっていた愛知県の中学生、裕人君を自宅に受け入れていました。
この期間、裕人君に「おとう、おかあ」と呼んでもらい、寝食を共にする中、朝6時の起床から夕方まで、畑仕事、家畜の世話、ボランティアなど裕人君にとって初めての経験が続きました。辛くなって一度は実家に逃げ帰ったけれど、時間をもてあそび「何とか乗り越えたい」との気持ちが起こって島に戻り、父との約束の期間を頑張り通しました。その結果、人と交わることが苦手だった裕人君が次第に周囲の人と話すようになって生活のリズムを取り戻し、9月から学校にも行けるようになった上、今春には地元の公立高校に合格するまでになりました。
その後、裕人君は3月後半から4月初めまで島を訪れ、山城さんやお世話になった伊江島の人々に再会し、感謝を伝えました。ちょうどその頃、大学生の実習生、雄仁君が基地問題に取り組みながら、課題であるフィールドワークのために同居していて、裕人君と兄弟のように接してくれたことも裕人君にとっては大きな力になったようです。
雄仁君のこの関わりは、周囲をも温かな雰囲気で包んでいったのです。
このような伊江島での体験や出会いを通して心身共に癒され、不登校を克服して新生活のスタートを切った裕人君と、裕人君を支えた雄仁君のことを、自分の子供のように話してくださった 絹枝さんの笑顔は慈しみに満ちていました。
この感動的な話の中にもあの「ゆいまーる」「ちむぐくる」そして「いちゃりばちょーでー」がごく自然に生きていることを味わっています。 (Sr.N.M)