ある日の、朝早く電話がありました。「三千体になりました。知らせたくて」という、亘理に来て1週間目に出会った、津波の犠牲者を悼む木像を彫られる図画さんの声でした。古い日本家屋のいろりのある土間には、最小1センチから30センチくらいまでの、木彫りの像がところせましと並べられ、それ以上から1メートルを越えるものは、竹林の中に置かれています。1体1体にこめられた祈りがひとつになっている、不思議な空間。魅了された私は、亘理を訪ねて来られる方を、度々案内してきました。
仕事を退職し、足にあたった木片がきっかけで、木像を彫り始められた事を、とつとつと話される図画さんは、目立った活動をされるわけでもなく、人づてに聞いて、訪ねて来られる方がたを、静かに、温かくもてなして下さいます。口癖に話しておられた仏教の「三劫三千仏」を目指し、その数がかなった時に、連絡してくださった声が曇っていたのが気になって、クリスマスの日に訪ねました。娘さんがまだ行方不明という被災者の方から、亡くなった2万人のために彫ってほしいと言われたと。「震災から4年半、彫り続けて、手指も、ひじもぼろぼろです・・・迷っていたけれど、覚悟を決めました。2万体まで、体が続くかぎり彫り続けます」との、凛としたお声でした。
何の宗教もない、ただ、無心に木を削って、本来持っているものを出そうとするとこのような形になる。と言われます。初めて見た時から、私には聖母とその子イエスにしか見えませんでした。「イエス誕生」のこの日、また違った形で、救いのために、私たちの内に来て下さった幼子の姿を見せていただいたような気がしました。(Sr.M・U)
クーロンヌ・フランシスケン(フランシスコ会の7つの喜びのロザリオ)
第三の黙想 イエスのご降誕におけるマリアの喜び