3月初めに千葉の白子町で一週間ほど過ごした。
河津桜がピンクの濃いめの花をいっぱい咲かせて海沿いの静かな町を華やかな装いで覆っていた。そして鶯は「むつかしい音階をマスターしたぞ」とばかりに元気いっぱいに、そして誇り高く「ほーほけきょ」と連呼。梅もこぶしも水仙もいっしょに仲良く春を謳歌している時に、とある修道院で祈りの日々を過ごさせてもらったのだ。
もう40年ぐらい前にこの地に引っ越してきた修道会である。まず簡素な聖堂に身がひきしまる。中央にかけられた十字架はなんと表現したらよいかわからないのだが私はとてもひきつけられ、何時間でもそこにたたずんでしまいそう・・・ 祭壇の左右のイエスとマリアのイコンの絵は来る人をあたたかく迎え入れてくれる。「教会のいのり」をシスター方といっしょにとなえ、ミサに与かる。ここでは時間がしずかに、ゆったりと流れていく。
なにも特別なことはなく、平凡な毎日の営みが続けられていく。と見えるのだが、だんだん心の中に広がっていく思いが確信に変わっているのに気づいた。この修道会では健康に恵まれている人も身体的病気や障害を持つ人も共に同じ生活を分かち合っているのだ。白杖をささえとするシスター、足の不自由なシスター、大きな病気をかかえているシスター、車椅子のシスター・・・・でもみなさんとても明るく、淡々と自分の「欠け」を受け入れ、畑仕事や台所、典礼の準備や歌の練習、掃除など日々の仕事をこなしていかれる。
その姿を垣間見るうちに感じたこと、それは「健康が一番、健康でなきゃ・・・という健康志向の強い日本にあって、病気には意味があるんだよ、苦しみには価値があるんだよ!」と 静かに、でも全世界に向けて発信しておられる姿である。彼女らひとりひとりは弱いかもしれない、でも助け合ってそれぞれができることをできるようにやりながら毎日を神様に奉献しておられる共同体の姿はなんと強いことだろう!
「私は弱い時にこそ強いからである」と言ったパウロの真実をこの共同体は語らずして証している。毎日が死と復活なのだ。近づく主の復活祭はどれほどのよろこび、感謝,祝いであろうか!! 私もそこに繋がっていこう・・・
(シスターY・S)