早いもので年が明けて1カ月が経ちますね。
私は年初に今年は徹底的に自分の持ち物を整理しようと決め、いわゆる「断舎離」に取り組んでいます。キリスト教的な表現で言えば「本当に必要なものの識別」といったところでしょうか。
自分にとって必要なものとそうでないものを分けることは単なる整理作業というよりも、自分を
作り上げている価値観やアイデンティティが現れてくる深みのある作業です。例えば衣類については、20代前半までの私は(まだ修道院に入る前でしたので)流行の服を着ることが楽しみで自分の似合う色や形、自分らしさについてあまり考えずに流行に合う服を選んでいました。
それから間もなく修道院に入り着る服はガラリと変わったわけですが、私たちの会には現在制服がなく、決められた色の簡素な服を自分で選んで着ます。入会当初は何を着て良いのかわからないので何となく周りの姉妹から譲り受けた服を着ていましたが、状況が分かってきた後にも、何となく勧められる服を着るということを続けていました。そうして時が経った今、気づくと自分の年代に合わなかったり体型に合わなかったり、似合わなかったりと、色々な意味で自分には合わない服が何枚も手元にあるという事態に…結局私は自分の必要を把握しておらず、自分の意志を働かせてきちんと選ぶこともなく、ただ漫然と服を所有していたわけです。
服は卑近な例ですが、より内面的な意味でも、自分自身をよく知ろうとしないまま、ただ漫然と周囲に言われたようにしていた私の未熟さが、服選びにも表れていたのかもしれません。与えられた物で満足することはもちろん大切なことです。しかし、選ぶ自由を与えられている場合、結局自分で納得して選び取っていないものは、それがどんなに他者にとって良いものでも使わなくなってしまいます。わがままや選り好みのためではなく、福音を生きる者として適切に物を管理していくために、識別し自分で選びとることは大切だと思います。
物を整理すると言っても、ただ何となく処分して量を減らすだけでは、またいつか増えていくでしょう。人それぞれに必要が違う中で自分にとって本当に必要な物を見極めながら、物に支配されることなく上手に付き合っていきたいものです。 (Sr. T. H)