マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

カナダ

エジプトから“The Father’s House” 「御父の家」へ

1996年、貧しさにうちひしがれた “The Father’s House” からの緊急の要請が、Sr.リタ・プロヴェンチャーの心を捕らえました。彼女は以前エジプトの地で宣教に従事していたことがありました。

この要請からずっと前に遡りますが、実は、シスターリタの宣教への夢は、1963年にローマの会長が彼女をレバノン、続いてエジプトへ派遣した時に実現していたのでした。エジプト北部の村、アーマンド(Armand)でSr.リタは本当の貧しさがどんなものかを体験することになります。それは電気もなく、水も不足しているというようなものでした。

彼女は勇敢にも国籍が全部違う5人のシスターと共に小さな共同体を作り、その地方の文化に適応していきました。そこでは、小教区の教会の世話だけでなく、その地方の女性たちの地位の向上に携わらなければなりませんでした。裁断の仕方や裁縫、読み書きのクラスなどの色々な種類の仕事で、それに加えて、彼女は2,3 の村の家族たちの訪問も始めたのです。朝の涼しい間にロバの背に乗るか、時には徒歩で砂糖きびや綿花の畑を横切って、4〜5キロの道のりを出かけるのでした。

朝日の美しさは、4キロほどの帰り道の焼きつけるような日照りの息苦しさも忘れさせてくれました。貧しい人々から受ける歓迎と喜びは彼女にとって毎日の慰めでした。「この人々に私は毎日、祈りの中でもう一度会うことができます。私が与えるよりもずっと多くのものを、この人たちは私にくださいます。」と彼女は感謝と感激をこめて言うのでした。それなのに、彼女はカナダに帰国しなければならなくなり、その後モントリオールの共同体で14年間、病気のシスターたちの世話をすることになりました。その仕事を若いシスターたちに任せて、退くときがやってきました。この勇敢な宣教者のシスターはそのあとの時間を無意味に過ごしたのでしょうか?彼女のことを知っている人たちにとっては、そのような質問は無意味です。実際、1996年にひどい貧しさにうちひしがれている“The Father’s House”からの週2,3回の訪問という要請が彼女の心を捕らえました。

“The Father’s House”とは何なのでしょうか?
それはモントリオールの大司教ポール・グレゴワール師の要請によって、ガイ・ラポール神父が 1969年10月7日に設立した家です。モントリオールのホームレスのための避難所で、そこでは食事や休息がとることが出来ます。ホームレスの方たちの多くはアルコール依存症で体を壊して、大通りや路地の目立たない場所に消えてしまいたいと思うくらい打ちひしがれ、来る日も来る日もさまよい続け、ついには全く絶望してしまった日に、 “The Father’s House” の扉を叩いて、助けを求めるのです。それは解放への最初の一歩です。

そこでは彼を待っていて扉を開けてくれる人がいます。落ちつける場所で彼を迎え入れ、尊敬と何よりも愛をもって彼らを世話し、人間として自分が誰であるかを見出すように助けます。お互いの信頼関係のうちにこの人たちは自分自身の尊厳と、自分が人間であることを再発見し、人間への信頼を回復するようになり、しっかりと頭を上げるようになるのです。彼らの心も成長し、自分より弱い者を元気付け、その人たちに自分がすでに垣間見たか、或いはすでに見出した希望を指し示すようにさえなります。年月とともにその旅路は新しい形をとり、新しい面を開いていくのです。 “The Father’s House” では、絶えずホームレスの方たちの種々の必要に対する奉仕に適応していくと同時に、常にその使命に忠実にとどまっています。そして、彼らが自分たちの尊厳を保つことができるように支えや慰めを提供するのです。そのためには夜間には150のベッドが必要であり、放浪生活から社会的生活に戻るためには32の部屋が必要で、独り立ちできる人のためには20のアパートが、また、55歳以上の方のためには 96の場所が必要です。

 

10年間、シスターリタは寛大なボランティアのグループの中に入って、“The Father’s House” のチームと働いてきました。そして、彼らを受け入れ、奉仕し、耳を傾け、縫物をし、寄付していただいた物を仕分けたり、修繕したりしてきました。ボランティアたちは “The Father’s House” が一番忘れられている人々の中でその使命を続けていくための貴重な存在です。彼らにとって、それは道の終わりに見える光、希望にみちた復活であり、そこで、シスターリタは積極的に小さき者を愛し、かかわっているのです。