ケニアの首都ナイロビの人口の約1/3の人々が、アフリカ最大のスラムがあるキベラ(Kibera)で暮らしています。中でも最も危険にさらされているのが子どもたちです。2007年以来、ケニアで私たちはこの問題のために色々のプロジェクトに取り組んでいます。
私たちはキベラのスラム街のすぐ近くのオティエンデ(Otiende)で共同体の生活を始めました。最初にシスターマダレナが聖ミカエル教会の信者の方と一緒にキベラの貧しい家を訪ねたことから始まりました。屋根の崩れかかった幾つもの家の間にある泥だらけの道で楽しそうに遊んでいる子どもたちを見たのでした。
子どもたちはすぐに微笑んで手を差し出し、「こんにちは!」と笑いながら、一緒にあいさつしてくれました。スラムの子どもたちは、大半が学校に行っていないことにシスターは気付きました。5歳から16歳くらいまでの子どもたちはその地域で多くの危険にさらされています。彼らはそのあたりに住んでいる沢山のグループの一つに過ぎないのです。年齢もまちまちで、ケニアの色々な種族出身です。
町で何か職が得られると思って、田舎の家や畑を後にしてやって来た恵まれない家族の人たちで、主に何人かのこどもがある女性たちで、おばあさんや親せきも一緒です。ひどい貧しさのため、こどもを養うことができず、子どもは自分たちで授業料や学校の必要品を支払わなければならないのです。
Sr.マダレナは勉強についていけないこどもたちを集め、その年の9月に「キベラの傷ついたこどもたちのバキタ(Bakhita)教育」としてプログラムを始めました。1〜2年間の個人的なレッスンの後、彼らは校長先生の面接を経て正規の学校に入学を許可されます。クラスの数が不足しており、土地も十分無いので、この学校は60人の子どもしか行くことができません。現在44人のこどもたちが正規の学校に入学を許可されました。最初のグループは小学校を終え、中学校の勉強をしています。この正規でない学校にはまだ58人の子どもたちがいますが、2009年には24人がキベラの小学校に入る準備を終えて、入学しました。シスターたちはプログラムを管理して、こどもの進歩の具合をチェックするために学校や家庭を訪問します。学校のプログラムを通して子どもたちには道徳感や生活態度なども育まれています。
勉学するための機会や援助が与えられ、この子どもたちには勉強をしようとする希望や、やる気がでています。バッキタのプロジェクトに合格したこどもたちの中に高等教育への可能性を秘めている将来性のある子どもたちもいますが、経済的貧しさのために彼らは仕事に就こうと考えているようです。
スポンサーの助けで成功した二人の学生は、中学校教育を受ける機会が与えられ、多分、将来は高等教育が受けられるでしょう。職業学校に進んだり、技術を得るために何らかの仕事の見習いに行く子どもたちもいます。2005年以来、65人の子どもたちが町の公立小学校に入り、別の4人は中学校に入りました。学校における子どもたちの数はキベラのスラムのほんの一滴にすぎませんが、善意のある恩人たちや支持者たちのお陰で、現在はより多くのこどもたちに教育の機会が与えられています。
意志が強く、辛抱強いことが成功へのカギでもあります。ダニエル・ムゴがその例です。ダニエルは未婚の母親の長男ですが、8カ月の時に母親に捨てられ、ナイロビにやってきました。息子と暮らしていたおばあさんが、孫のダニエルをひきとってくれましたが、ダニエルは伯父や10人の従兄弟からは受け入れられず、しばしば虐待されていました。従兄弟たちは学校に通っても、ダニエルは家の手伝いをさせられました。しかし、ダニエルは勉強したいという固い決心で、従兄弟の後をついていったので、おばあさんが何とか彼のために教科書を工面してくれ、小学校に通えるようになりましたが、授業料を払うことができなかったために、小学校教育が無償になる年まで学校に行けませんでした。
別の家族を作り、3人の娘を連れて戻ってきた母親からは援助を受けられませんでした。2005年、彼は小学校を良い成績で合格し、キベラにやってきましたが、自分で下宿を探さなければならなかったのです。見知らぬ人が彼を住まわせてくれ、教会では一人の先生が、自分が教えている中学校に連れて行ってくれました。ダニエルは学校への往復6キロの道をしばしば食事なしで歩いて通いました。彼には授業料の問題があったのですが、あきらめずに、慈善団体からの援助を求め、それによって4年生までは授業料を払ってもらえました。彼が困っているのを知った校長先生は彼を寄宿舎に入れてくれ、彼はそこで休日さえも雑用をしながら勉強しました。お陰で勉学に必要な援助が得られた彼はドクターになりたいと思って、奨学金をとるために努力しています。夢が実現しますように!