私たちの教会には幼稚園が隣接しています。除染のためにグランドは表土を5センチ剥がれ、砂場をはじめ遊具は屋内に設けられて、子供は屋外ではなく、屋内で遊ぶようにしていました。ところが、2年数か月が経ち、線量も幾分下がってきたので、子供を外で遊ばせよう、と方針が変わってきました。グランドに人工芝を植えて、トラックも作りました。それから1年経ったでしょうか。
今朝、ミサの後、先に外に出たシスターたちが、人工芝のところで、草取りをしているようなのです。びっくりして尋ねると、「雑草が生えているので、抜いているの」と言うのです。本当に大きくて、がっしりした雑草です。びっしりと生えている人工芝の間をどうやって潜り抜けてきたのかと不思議です。小さい草は小さな隙間を潜り抜けることができ、大きくなれば、人工芝の小さな目を押し広げることができるのでしょうか。
人は簡単に「雑草」と呼びますが、その雑草はこの世にたった一つしかない自分を「雑草」などと卑下することなく、困難に出会ってもめげずに、堂々と、ひたすら前進しているのだろうか?私も「雑草」から生きる哲学を学びたいと思いました。(Sr. K.O)