沖縄戦の激戦地となった伊江島で、日本が敗戦したことを知らずに、逃げ登ったガジュマルの木の上で2年間も過ごした2人の日本兵がいたことをご存知でしょうか。ニーバンガジュマル(ニーバンとはこの木の持ち主である宮城家の屋号)と呼ばれているこの大きな木は、私たちの家から歩いて10分くらいのところにあります。2人は激戦の中を逃げ惑ってこのガジュマルの木に登り、下から見えないように枝で擬装し、暗くなると下り、米軍のゴミ捨て場から食料や衣服を集めてこの木の上に潜伏していました。 一方、激しい地上戦で生き残った島民は慶良間諸島などに2年間強制移住させられていましたが、島に戻った村民が1947年3月にこの2人の兵士に気付き、敗戦の事実を知らせ、2人はガジュマルの木から下りたということです。この話を児童文学者の真鍋和子さんが、シリーズ平和の風2「ぬちどぅたから-木の上でくらした2年間-」(汐文社1991年初版の絵本)として出版しました。機会があればお読みいただけたら嬉しいです。
5月に放映されたNHKスペシャル『ラストメッセージ、井上ひさし“最期の作品”-沖縄戦をテーマにした戯曲「木の上の軍隊」』-をご覧になった方も多いかと思います。この作品は、上記の実話をもとに構想していたことを示す井上氏直筆のわずかなメモを手掛かりに、父の遺志を継いだ娘さんと演出家・脚本家たちによる創作戯曲で、地上戦の事実だけでなく、今に至るまで続く構造的差別に苦しむ沖縄の人々の問題を的確に力強く表現し、伊江島での地上戦が沖縄戦の縮図であることが伝わってくるそうです。
県民の強い反対を無視して、沖縄の普天間基地にオスプレイが追加配備されました。この伊江島への飛来と訓練回数が増えるため、一層の危険や騒音、粉塵、低周波被害が懸念されています。このような現実にあっても、あのガジュマルの木は今もしっかりと根を張り、緑豊かな葉を茂らせ枝を大きく広げています。そして、そこに住むキジムナ―(木の精)と共に、真っ青な伊江島の空に似つかわしくない不気味なオスプレイを悲しみの眼差しで見つめ乍ら、再びこの地が戦場となることがないようにと願い、守ってくれているように感じる今日この頃です。
二人の日本兵をかくまったガジュマル
- 被災した馬も行列に参加
- 妙高高原での集まり