韓国からカナダ管区に派遣されているSr.リタ・ キムの分かち合いです。
私は、韓国では、ずっと青年司牧にかかわっていました。カナダに派遣され、ケベックに来てから、青年との関わりが全くない生活になり、まるで、砂漠の中で生きているような感じがしていました。言葉も十分でなく、将来の使徒職も定まらず、とても惨めな思いの中で、「あなたはどうして私をここに送ったのですか」とよく神様に尋ねたものでした。
ケベックに来て2年が経ち、ケベック大司教区の青年司牧のチームに入ってほしいという依頼を受けました。私は、この突然の招きに驚きましたが、本当にうれしく思いました。というのは、これでケベックの青年たちとの関わりが始められると思ったからです。同時に自分にこのための能力があるのかどうか、またこんなへたなフランス語で大丈夫だろうかという不安もありましたが、この呼びかけに応えることにしました。そして新たな歩みが始まったのです。
青年司牧の最初の年は、共同体の姉妹の支えと神様のお恵みによって、たくさんの困難や問題をかかえながらも、どうにか無事に役割を果たすことができました。従来のプログラムに加えて新たな企画も始めながら、少しずつ教区の人々と親しくなってきました。それは喜びと同時に難しさもあり、言わば「へりくだられた神」と共に生きる体験となりました。ケベックの半分くらいの教会が、日曜日のミサでも聖堂が空っぽだったり、お年よりの姿しかない現状の中で、毎月の青年の集まりに、多くの青年たちが集まったことは奇跡のようでした。
集まりに参加する大勢の青年の姿から、私は力を頂き、将来への希望を感じることができました。また彼らの本当に神様を知りたいという望みと強い信仰に心打たれました。また驚いたことに、年末の「召命の集まり」には、何百人もの青年が集まったのです。その集まりのテーマは「一生独身?」でした。講話、体験談、分かち合い、祈りがあり、夕食で終わりになりましたが、始終喜びと笑いがあり、希望に満ちたとてもよい集まりでした。
その後、様々の修道会のメンバーが集まって、新たな「移動チーム」を作り、奉献生活の紹介をするために高等学校を訪問する活動を始めました。多くの学校に打診しまたが、なかなか良い返事が得られず、やっと「イエス・マリア高等学校」を訪問することができました。生徒たちは、私たちを暖かく迎えてくださり、その反応もとてもよいものでした。高校のチャプレンは、訪問の前には少し心配がありましたが、実際には、何の心配も必要なかったと語っていました。
私は青年とかかわるとき、彼らの中にキリストの現存を深く感じています。今までの活動を通して、今でも神様は、青年たちに、御自分に従うように呼びかけていらっしゃるということを確信するようになりました。実際、毎月の集まりに参加していた青年の一人が、今年、神学校に入りました。私の役割は、青年たちと共にあり、彼らと共に希望の道を歩んでいくことだと思っています。
Rita Kim, fmm