クリスマスが近づいてきました。クリスマスミサで読まれるのはルカ福音書の2章。野宿している羊飼いに「救い主が生まれた」と天使が知らせます。それで、羊飼いは「その出来事を見よう」と出かけて行きます。また、マタイ福音書2章は「王の星がのぼるのを見ました」と言って、東方の博士たちが幼子を探してはるばるやってきたことを記しています。
それにしても、大の大人が生まれたばかりの幼子を、「かわいい」と言って頬ずりするのではなく、ひれ伏して礼拝するなど、どうしてできるのでしょうか。それは、父なる神の「ひとり子を遣わすという約束」と、「時が満ちたこと」を信じたからに他ならないと思います。つまり、「見える幼子」のかげにおられる「見えない父」を意識できたのだと思います。博士たちが捧げた「黄金」「乳香」「没薬」は、それぞれ、幼子が「王」「祭司」「預言者」であることをあらわしています。私もこのクリスマスに、幼子の中に秘められている「王」「祭司」「預言者」を深く意識しながら、幼子を礼拝したいと思います。私たち人間を救うために、天の高みから、地上まで降って来られる、「下りることができる神」にならい、きょうだいと連帯するために、生活条件の悪いところにも下りていける人になれるよう祈りたいと思います。