マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-91

特高警察の標的となった外国籍の会員-③

(修道院日誌続き)                                    ある日、施設の子どもは「神と天皇のどちらが偉いか」と聞かれて「宗教では神、国では天皇」と答えていた。姉妹たちは四六時中警官に監視され、修院に届けられた物や修院から出る物など、何でも警官に見せなければならなかった。外出の時は行き先と目的を告げ、外出許可を得なければ外出できなかった。

そのような状況下で、東京のM.マグダラから琵琶崎のことで情報を求められた時には、人吉修道院のヒヤシンタ院長が「和服姿」のアグレジェを琵琶埼へ送り、待労院のそばにある施療所で修道服に着替えてから修院に行って情報を入手してくるように指示した。また、人吉から電話する時には「病気の姉妹はまだ床についたままですか(共同体にはその意味が通じた)。守護の天使はまだそちらにいますか」と尋ね「はい」という返事があれば、M.マグダラのメッセ-ジを伝えた。M.ラファエルの留置生活は尚も続いていた。この姉妹は、院内で日本語の郵便物を取り扱う係をしていたので、例のベルギ-人女性に関する手紙や小包のことでスパイ容疑をかけられ、留置場のゴザを敷いた小さな部屋に閉じ込められたまま、一日中、2人の警官に監視されながら自分の靴を枕にして横になっていなければならず、ミサに参加できない状態が28日間も続いていた。法律によると、警察はスパイ容疑者を29日以上監禁しておくことはできず、その期間の終わりには有罪なら投獄、無罪なら釈放しなければならないことになっていた。

それにもかかわらず、一向に釈放されないのは何故か。「カトリックだから?」と、姉妹たちは自問自答していた。M.マグダラは直ぐにでも熊本へ行きたいと思ったが、欧米人は遠くへ出かけずに東京にいた方がよいと言われ、解決の道を探っていた。チャンスが到来したのはその時であった。10月6日、紀元2600年の記念に、40年間ライ患者に奉仕してきたM.マルガリタ (小串しず) とM.コレッタ (畑原サダ) が皇居で感謝状を受けるために上京することになったので、M.シャロットがこれに同行し、東京でM.マグダラに手紙や電話で伝えられないデリケ-トな事の次第を詳しく伝えた。こうして東京で、M.マグダラが影響力のある人や友人たちを通して問題の解決に当たった結果、10月27日、M.ラファエルは無事に釈放され、一か月半ぶりに修院へ戻った。11月4日にこの問題は解決した。

(熊本修道院日誌:特別号より)