マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

忘れ得ない日々

  2010年12月、26歳の失業中の青年が野菜や果物を街頭で販売し始めたところ販売の許可がないとして警察官が商品と秤を没収、さらに警官から暴行を受け、これに抗議するために焼身自殺を図った事件をきっかけにチュニジア中に民主化を求めて政府への抗議行動が広まりました。2011年1月14日,大統領ベン・アリーが国外に逃亡し23年に及ぶ長期政権が終るまで,国内は暴力の渦に巻き込まれました。チュニジアのこの民主化運動の流れは他のアラブ諸国にも広がり「アラブの春」と呼ばれるようになりました。多くの人が命を落とした1月の体験を、チュニジアのアイン・ドラハム修道院のシスターたちがわかちあってくださいました。

 チュニジア2011

110日(月):明日行われる予定の「子どもの日」の準備を終えて子どもたちは、明日を楽しみにしながら幼稚園から帰っていきました。しかし、午後8時ころ、「明日幼稚園は休園に!」という電話が入りました。

111日(火):朝早く、手伝いに来てくれた先生と一緒に幼稚園の門のところに立って、登園してくる子どもたちに「すぐに家に帰ってください」と伝えました。子どもも親たちも子どもの日のお祝いを楽しみにしていたので、とてもがっかりしていました。10時に門を閉め、テレビで何が起こっているのかを見ていました。

113日(木):チュニスではデモが広がっているようです。しかし、ここでは人々は冷静で、まだ状況は静かです。

Ain Draham修道院のシスター

114日(金):午前中は静かで買い物ができましたが、16時ころ、電話がありました。「シスター、ドアと窓を閉めて。チュニスで殺された若者の死体が運ばれてくるのでたくさんの人が集まってシスターの家の前で抗議集会をするみたいだから。」と教えてくれました。窓から外を見ると、多くの若者と兵隊が集まっているのが見えました。幸いにもまだ静かで、兵隊は人々に家に帰るように呼びかけていました。17時50分ころまでには、人影が消えました。18時外出禁止時刻。4人の兵隊が私たちの門前で歩哨に立っています。事の成り行きを見守るために、夜遅くまでテレビを見ていました。ベン・アリーの国外脱出の早さには目を見張る思いでした。忘れ得ない特別な夜でした。

115日(土):朝8時ころ、私たちのところで働いている3人の女性が出勤してきました。11時ころ二人の先生が必要な物があるかどうか聞きにきてくれました。13時にはまた外出禁止の命令でした。暫定内閣が発足したとの発表があり、人々は元大統領の写真を引き下ろし、破いたりしています。

118日(火):教職員組合が私たちの家の外で抗議集会を開き、どんどん人が集まってきます。元大統領の写真を燃やして気勢を上げています。何もしないでいるのにもう飽き飽きとしていたので、何か意味あることをしようと相談し、正午に平和のために祈り、午後には「ミッションハンドブック」を研究するように決めました。それで、今起こっていることを祈りのうちに捉え、自分たちの恐れや心配を受け入れて、ここに私たちが留まっている意味を深めることができたようです。

幼稚園の子どもたち

124日(月):幼稚園を再開しました。門に見張りをいつも立て、注意していましたが、神様の守りと親たちの助けで、無事に過ごすことができました。

21日(月):また国の雰囲気が変わってきました。略奪があり、市長の家は焼き討ちに会い、多くの若者が行方不明になったと報道されています。また若い女性はレイプされています。この背後にはどのような存在があるのでしょうか?幼稚園を開けていますが、本当に心配です。

これら一連の出来事の中で、私たちは「苦しみの中にあっても人々と共に留まること」「危険を冒しても人々を受け入れること」そして「自分たちの思いを手放し、新たなかかわりを作り出すこと」の大切さを学ばせていただきました。1ヶ月が過ぎ、すべてが終ったわけではありませんが、私たちは時のしるしを注意深く読み取りながらここに留まろうと思っています。聖霊は思いのままに吹くのですから・・・

Soumaya Karakelle, fmm