マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

みなさ~ん、こんにちは

私は73年前、神様から人生の旅路をいただき大阪の地に産声をあげました。右折、左折、曲折を繰り返しながら人生を怨み、「この世に神様が本当にいて、この辛いことが与えられているなら、決して神様に負けてたまるものか!神様の鼻をへし折ってやる!神様を許さない!」と、頑なに肩肘張って鼻息荒く、大阪から鳥取、東大阪、奈良、東京を転々として生きていると、人間不信に陥り、心の傷口はだんだんと大きくなるばかりでした。

4回目の就職先から東京に派遣されていた時、友人がしつこく教会に行こうと誘い、聖書も渡されました。私は行きたくなかったのですが、根負けして一度だけの約束で町田の教会に出かけました。73歳の薄らいでいく記憶のなか、今も忘れられないのは十字架のイエス・キリスト。等身大の十字架のイエス様が、私に語りかけるような不思議な思いになりました。「なんだろう?なんだろう?」と気になりつつ、教会に通い続けました。あるとき、聖書の中の「良きサマリア人」の箇所のイエス様に出会いました。「私は今まで何を見てきたのかな?」私は司祭、修道者の姿、教会の人、教会の建物で判断していたので、本物のイエス・キリストとの出会いを見ていないことに気づき、32歳で洗礼を受け、35歳で修道院の門を叩きました。

修練期2年目の昼課の時、詩編94の一節が突然心に響きました。涙が溢れて止まらず、自分の人生を振り返りました。「神さまの鼻をへし折ってやる」と息巻いていた自分が恥ずかしい・・・。「降参します、降参!神様ありがとう!」ますますイエス様の虜になりました。いつも寄り添い、手を差し出し守ってくれていたことに全く気づかなかった私、知らなかったのは私だ。初誓願、終生誓願を立て、神戸・横浜・北海道・東京・新潟を経て、今は南の島、種子島に派遣されて9年目です。

宇宙ロケットの島。鉄砲とキリスト教伝来の島。緑豊かな種子島の北部に当たる西之表市の丘の上にある平和の園保育園で働いています。果物の種類いっぱい、種子島の魚、野菜豊富、お茶美味い、肉最高!水美味い、米豊作、砂糖も採れる、塩も採れる。元気いっぱい食べて、痩せる暇なしの楽しい島です!

保育園から、高速船が入港するのを見ることができ、また高速船からも保育園の赤い屋根を見ることができます。昭和45年5月1日にカトリック保育園として定員60名で開園し、今年54年目を迎えます。平和の園保育園は、0・1・2歳の横割りの未満児クラスと3・4・5歳児の縦割り2クラスです。キリスト教の愛の教えに基づいたモンテッソーリ教育を導入し、子どもが自立に向かう保育・教育に取り組んでいます。今、子どもたちはお遊戯会に向けて楽しんで踊っています。素敵なかわいい種子島の子どもたちと、元気でちょっと変わり者のシスターが種子島で待っています。おじゃりもう~せ!!

(Sr.Y.T.)