*創設時の姉妹たち Sr.マリア・スピハルスカ Sr.朝倉 信江 Sr.吉田 慧子
前橋教会の岡宏神父様から、群馬の渋川教会にシスターを派遣してほしいとの要請が管区長にあったのは1998年のことでした。お告げのフランシスコ姉妹会が引き上げた後、主任司祭が一人で頑張っておられましたが、その司祭もいなくなったとのことで、教会の司牧の手伝いを願われ、本会が引き受けました。
寝具も食器も、お告げのシスター達が残していったものを使わせていただきました。Sr.荒尾の運転で、初代のメンバー(院長のSr.マリア・スピハルスカ、Sr.吉田慧子、Sr.朝倉信江)の他に、引っ越しの手伝いのため姉妹達が何人か一緒に乗り込んで、勇んで東京修道院から出かけました。
丹念に掃除し、食器などを洗って夕食の頃になりましたが、食事を作る時間はなかったので外食して帰ってきたら、誰も玄関の鍵を持っていませんでした。戸を閉めたら鍵がかかるようになっていたのです。薄暗くなった黄昏の中を、急いで鍵屋さんを探しに出かけました。やっと見つけた鍵屋さんに「玄関の鍵を開けに来てほしい」と頼んでも、なかなか応じてくれませんでした。「自分たちは怪しい者ではない。シスターだ。このようにベールを被っている」と話し、渋る店主を説得。強引に修道院まで連れて来て、やっと中に入って寝ることが出来ました。
1階の2部屋は、隣接する教会の幼稚園の倉庫となっており、食堂と玄関脇の小部屋が私たちの使える場所でした。私たちの寝室は2階で、3階の屋根裏は物置きになっていましたが、夜になるとそこからコウモリが飛んで来て、悲鳴を上げて逃げ回っていた姉妹もいました。
渋川は伊香保に近く、フィリピンからの女性たちが大勢来ており、日本人と結婚した方もおられました。Sr.マリアは彼女たちと良く関わっていました。Sr.吉田は教会で信者さんたちと聖書の勉強会をし、Sr.朝倉は病人訪問、草津への巡回ミサに同行していました。日曜日には近隣の司祭がミサを捧げに来てくださいましたが、週日は私たち3人と信徒のご夫婦との集会祭儀でした。私たちは教会の受付や鍵の開け閉め、掃除などで忙しくしていました。
渋川教会は、沼田教会と中之条巡回教会、それに草津のハンセン病療養所楽泉園内にある巡回教会も受け持っていたので、司祭と共に定期的に訪問していました。楽泉園には6人の信徒の方々がおられ、前橋教会の岡神父様が月1回程度、ミサに行っていました。渋川教会の司祭館に宿泊される神父様たちも交代で草津に行ってくださいました。
楽泉園におられる信徒は、現在はお一人だけになりました。草津には、フィリピン人や南米の信徒の方々が聖公会の教会に時々来ているとの連絡があったので、月一回聖堂を使わせていただき、スペイン語や英語のミサをするようになりました。牧師婦人が塩田神父様のお姉様だったので便宜を図ってくださいました。草津在住の信徒もお二人参加しておられました。ミサ後には塩田神父様のお姉様の手作りおでんを一緒にいただき、和気あいあいとした雰囲気でした。秋の紅葉の頃などは道中の景色が本当にきれいで、ピクニックに行くような気分でした。