*洗礼はいつどこで受けたのですか?
私は大正10年に静岡県裾野の小さな村に生まれて、父は神主でしたから、当然キリスト教の雰囲気はまったくありませんでした。キリスト教に最初に出会ったのは、タイピストとして北京で働いていた時です。たまたま出会ったある修道会のシスターと親しくなり、教会に通って洗礼を受けることになりました。洗礼の時の代母もそのシスターがしてくださり、ずっと交流が続きました。
*神主のお父さんからの反対はなかったのですか?
もちろん賛成ではなかったでしょうが、日本を離れていましたし、反対したところで言うことを素直に聞くような娘ではないことをよくわかっていたでしょうからね!私が子どもの頃は、とにかく色々な人達がいつも家に出入りしていたことを覚えています。村の人達は折々にお祓いや祈祷を頼みにきていたようでした。今思うと、きっと苦しい事情があったのか、家族揃って村を出ていくような事が時々あり、そういう時には明け方から人の気配を感じて目が覚めたものです。見に行ってはいけないと言われていましたが、好奇心いっぱいでそっと覗きに行くと、母はおにぎりをたくさん作って、その家族のためにお弁当を準備し、父は男の人たちと話しこんでいました。何もわからなかった私は、「うちにも兄妹が6人もいて生活は決して楽ではないのに、お母さんはどうして、よその子どものためにおにぎりなんか作っているんだろう」と、憤慨したものでした。
*「タイピスト」になったのはどうしてですか?
すぐ上の兄がタイプライターの会社に勤めていた関係でやってみないかと誘われ、「タイピスト」なんて、何かかっこいいなぁと思って軽い気持ちで始めました。それから間もなくして、今でいう派遣のような形で、北京の銀行に勤めることになったんです。北京ではとても待遇もよく、楽しい生活でしたね。お給料も当時としてはかなり良かったと思います。でも、そのうちに戦渦を避けるために帰国しなくてはならなかったんです。
*FMMとの出会いは?
実は最初の出会いは北京でしたが、日本に戻ってから、東京の聖母病院に勤務するようになり、それがきっかけで入会を決めました。当時は日本でもとても国際色が豊かで外国から派遣されたシスター達が沢山いましたので、事業の関係の日本語の書類を作ったり、色々な交渉をしたりするのは難しかったため、私は秘書のような仕事を長くして、その後は熊本の侍労院などでも働きました。
*選んだ生き方について迷うこともありましたか?
私はタイピストや秘書としての職業柄か、自分がするべき事を果たしたら、それ以上の事について、あれこれ悩んで考えたり、迷ったりすることはほとんどしてこなかったんだと思います。“自分の分”をわきまえて精一杯してきただけ。後悔?そんなことはしたことないですねっ。大した事ではなかったけれど、私の歩いてきた道はすばらしかったなぁ!と思っていますよ。他の誰にも真似のできない人生ですから。