10代の頃、早起きがとても苦手でした。高校時代はよく遅刻をし、予鈴と共に門を閉める生活指導の先生に締め出されたものでしたが、いつの頃からか早起きが苦にならなくなりました。
これまで色々な修道院で、早朝の姉妹たちの様子を目にしました。
ある姉妹は、誰よりも早く起き、冷えた部屋に暖房を入れてくださり、
ある姉妹は、高齢の姉妹たちの身支度を手伝われ、
ある姉妹は、車いすに座り、迎えに来てくれた姉妹とほほ笑んで挨拶をかわし、
ある姉妹は、広い修道院のゴミを集めてくださっていて、
ある姉妹は、朝食のために50人分の果物を準備され、
ある姉妹は、ミサの準備をしてくださり、
ある姉妹は、聖堂で長い間ひざまずいておられました。
どの姉妹も祈りのうちに、静かな夜明け前のひとときをお捧げされていました。
今の修道院に派遣された2年前、私も何か共同体のためにできないかと考えました。そして、思いついたのが修道院の門をあけること。はじめは、「門から締め出されていた私が、早朝に門をあけられるようになるなんて!!!」と自分でもおかしくなりました。
玄関を出て、朝いちばんの澄んだ空気をすうと、昨日とは違った空気の暖かさや冷たさを感じる日があります。そんな時「季節はめぐっているんだなー」としみじみ…。また、輝く月の美しさに見とれ、雨のにおいに懐かしさを感じ、台風の強さに吹き飛ばされ、花のかおりにうっとりし、新雪のあまりの白さに感動し「あー、アシジのフランシスコの気持ちってこんなのかも!」と思った日は数えきれません。
さて門をあけ、修道院に向き直ると、遠くまで街が見渡せます。まだ夜明け前の静かな街を見下ろしながら、「この街に住む人たちに神様の祝福がありますように」と祈るのが私の日課となっています。(Sr.C.O)