私は老人ホームにお手伝いをしに行っていますので、冠婚葬祭で言えば『葬』が多く、『葬儀のしおり』は手放せません。
ある日、職員さんが私に言いました。
「シスター、サイジョウノイノリってどんな祈り?」
私は、慌てず騒がず落ち着いて、
「火葬場の祈りよ」
と、『葬儀のしおり』の火葬場での祈りを開いて差し出しました。
「これか…。」
と職員さんは納得。納得ついでに、
「じゃあさ、司祭のための祈りは? それと、召し出しを求める祈りは?」
と言われました。
「今、すぐには出ないわ。祈祷書(古い!)を見てみないと。ちょっと待ってて。」
と言いつつ、職員さんに何故この祈りが必要なのか尋ねたところ、入院している信者さんにこの3つの祈りをプリントして持ってきて欲しいと言われたとのこと。
私は、祈祷書のページをめくりながらフッと頭をよぎったことが・・・。
もしかして『サイジョウノイノリ』って『斎場の祈り』じゃなくて、ホイべルス神父様の『最上のわざ』のことを言っているのではないかと・・・。
そうと解れば、インターネットを駆使し『最上のわざ』を探し、『司祭のための祈り』と『召し出しを求める祈り』とともに、きちんとパソコンで打って、職員さんにわたしました。
入院している方に、『火葬場の祈り』が行かなくて本当に良かった。
主イエスはおっしゃいました。
「どう聞くべきかに注意しなさい」(Lk8:18)
ちなみに皆様、「最上のわざ」のお祈りご存知ですか? 素敵なお祈りです。
最上のわざ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも
親切で、柔和であること。
老いの重荷は神の賜物、
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしてゆくのは
真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば
それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる
愛するすべての人のうえに 神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。
ヘルマン・ホイベルス「人生の秋より」
(Sr H.K)