マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

聖地でのミッション ー イスラエル

Israel

聖地、そこは、宗教、文化、言語、人種のるつぼのような土地ですが、そこは、父である神がその独り子をお遣わしになった「特別な場所」でもあります。そこで宣教するSr.AnnaChochol,fmmの分かち合いです。

 

何世紀もの間、主が歩まれた土地を歩くために、世界中から多くの巡礼者が「ここ」にやって来ました。ここで、人々は、神のみ言葉に耳を傾け、静かに黙想し、み言葉によって変えられて新たな人となって自分の国に戻ります。しかし、同時に「ここ」は、長年の紛争に地であり、血で血を洗う闘いが続き、それはますますひどくなってきています。

Holy Land No1私は、レバノン、シリア、エジプト、ヨルダン、パレスチナ、そしてイスラエルの6つの国から成り立つ中東管区に属しています。私はこの管区に派遣されて27年になります。12年間、アラブの国々で過ごし、その後11年間は、テルアビブから6km位のところにある、ユダヤ人地区のバトヤムの修道院におりました。そしてこの4年間は人材不足のために、週5日間はエルサレムに、2日間はバトヤムで過ごしています。私たちのエルサレムの修道院は、国際的な19人の修道院で、そのうち15人が80歳から105歳のという高齢者の修道院です。

私のミッションについてお話ししましょう。私の一日は、聖櫃の前の沈黙の祈りから始まります。聖体におられるイエスの御前にたたずみ、主のみ言葉に耳をかたむけます。そして、この一日を主に委ね、聖霊の導きを願います。

エルサレムの修道院では、高齢のシスターたちのおvnebo世話をしています。シスター方をお世話する時、私は、彼女たちの中におられる主に奉仕させていただいていると思っています。高齢のシスター方の中には、病気になり、周りの人々のお世話なしには生きられない方もいますが、シスター方が望んでいるのは、ただ身体的な世話ばかりでなく、やさしい声掛け、そして何よりも自分の存在が認められることのようです。一人一人のシスターの必要に応えるのは難しいことですが、シスター方の中におられる主を礼拝する気持ちで、シスター方と接するとき、主ご自身がその方に必要なことを分からせて下さり、感謝しています。

主が永遠の国にシスターをお召しになることも珍しくありません。私たちの修道院を「永遠の命の学び舎」と呼んだ人がいましたが、本当にそうです。最期の時を共に過ごすこのミッションは、大きなチャレンジであると同時に、大きなお恵みです。

Holy Land No2安息日の前日、つまり金曜日に、私はバトヤムに帰ります。修道院から一歩外に出ると、そこは全く異なる状況が広がっています。安息日が始まる前に家に到着しようとする人々で、道はごったがえしています。毎週土曜日、ジャッファの聖ペトロ教会では、ヘブライ語の共同体が集まりを持っています。イスラエルにはこのような共同体が5つあります。共同体のメンバーはどのような人たちなのでしょうか。彼らは、ユダヤ教からの改宗者、求道者、ヘブライ語で祈りたいキリスト者で、そして最近では、子どもがイスラエルの学校に通っている移住者たちも加わっています。ジャッファの共同体は、一番古い共同体で、1955年に始まり、今ではそのメンバーは140人になりました。新しいメンバーを喜んで迎えるので、少しずつですが、共同体は大きくなってきています。現在、6人の大人が洗礼の準備をしています。洗礼に至る道は一人一人異なりますが、困難な状況の中で本当にすばらしい歩みをしておられます。

毎週土曜日、ミサの後で大人と子どもの信仰講座が開かれています。聖霊は望みのままに、どこでも、いつでも働かれます。現代社会は、数字や統計による証明を求めますが、聖霊の働きは、私たちが手で触れることができ、証明に必要がありません。

私のミッションは、共にあること、それも注意深く心から一人一人の人と共にあることだと思っています。主が送ってくださる人々の間にあって、イエスの証人として存在すること、それが私の望みです。高齢のシスターであっても、教会に集い人々であっても、人々は、心を込めて聴いてくれる人、喜んで手を差し伸べてくれる人を待っているのです。

土曜日の午前中は、ジャッファの教会で、移住者の子どもたちにカトリック要理を教えています。イスラエルの学校に通うアジアやアフリカからの移住者の子どもたちやこの地域のヘブライ語共同体の子どもたちで、初聖体の準備をしています。ここで、私は聖霊の働きを強く感じています。ここは、まるで、ユダヤ教の人々とキリスト者が共に祈った初代教会のようです。ここの教会を取り巻く状況は、複雑で、決して易しいものではありませんが、教会に集う人々は、心を一つにして祈り、すばらしい共同体を作り上げています。

このように二つの全く異なる使徒職をさせていただいていることは、私にとって大きなお恵みだと思っています。難しいこともありますが、必要な力を与えてくださる神に信頼しています。「あなたのその力をもって行くがいい。わたしがあなたを遣わす。」(士師6:14)これは、終生誓願のとき、いただいた聖句で、いつもこの言葉に力づけられています。私が火の中を通っても、水の中を通っても、いつでも主は共に歩んで下さいます。疲れて倒れても、病気になっても、その度毎に、主は私を抱き起こし、力づけ、もう一度、新たな歩みを支えてくださるのです。

召命を受け、ここ聖地に派遣されていることを本当にうれしく思っています。主が歩んだ地で、主を証しすること、何とすばらしいことなのでしょう。終生誓願の時に、心から「はい」と主に答えましたが、どこにいても、何をしていても、一瞬一瞬、主に「はい」と答え、自分を捧げ尽くす恵みを主に願っています。

Anna Chochol, fmm