小学校三年の時、父の転勤で福岡に引っ越した。夏休みには隣の家に住むご夫婦と一緒に志賀島(しかのしま)へ海水浴に行った。
博多湾に細長く弧を描いて伸びている志賀島は、海ノ中道という細い道路で陸続きだ。
私は背が立つところまで沖に向かって歩くと浜の方へ向き直り、来た波に乗って波打ち際までザブーンと戻ることを繰り返していた。泳げなかったからだ。しかし気がつかずに少し深いところまで来てしまったのだろう。ふと足が立たないことに気がついた。
そこで手足をバタバタさせてみたが、水の上に顔を出すことが出来なかった。文字通り全身を水で包まれ万事窮す! とわかった瞬間の恐怖は、五十年たった今もはっきり体で思い出すことが出来る。
しかし何も見えない水中にありながら、不思議なことだが、「今、救ってくれる手が伸ばされている」のがわかったのである。まもなく太い腕が私の体を水の中からすくい上げるのを感じ、「ああやっぱり……」と安心し、その後の記憶はない。
助けてくれたのは隣の家のおじさんだった。両親は私がおぼれているのに気がつかなかったそうだ。だから彼がいなければ、私は今日ここにいなかったかもしれない。
こうして幸いにも生きながらえて、新宿にある聖母病院で働く毎日である。
昨今、毎日どころか、一年が妙に速く過ぎ去るような気がする。
外来患者さんを診察し入院患者さんやご家族とお会いする。高齢の患者さんが多いため、退院後の介護や療養生活についてよく相談するのは大切な勤めである。身体の治療だけではなく、患者さんとご家族がどうすれば今後の生活をより気持ちよくすごせるかをともに考え、出来ることを提供する。
こうして多くの人の人生の終末に同伴しているためか、一日の終わりに、ばったりとベッドに着くときは、自分もいつか働くことも、歩くこともできなくなると考える。
志賀島で終わらず、ながらえさせてもらった生命にも最後がくるのである。
私はなすべきことを出来たのだろうか?
最後の時、後悔はないだろうか?
溺れかけたことは確かにいやな過去である。
しかし「今、手が伸ばされている」と見えないはずなのに感じていたことは、何にも代えがたい大切な記憶でもある。
自分のいる場所がわからなくなった時や、どうしても次の一歩を踏み出す力がでないときには、あの日、海の中で伸ばされてきた手を思い出す。
「大丈夫、大丈夫。かならず助けてくださる手がある」
(Sr,M.O)