2〜3年前、修道院に遊びに来ていた小学校1年生の二人の女の子が、
幼子イエスを抱いた聖アントニオ像を見上げながら話しているのを
聞いていた時のことです。
片方の女の子が私に聞きました。
「ねぇ、あの子、誰?」。
すると、もう一人の女の子が応えました。
「えっ?そんな簡単なこと、わかんないの?
あの子、あの本から出てきた子じゃん。」 ・・・・。
その言葉を聞いたときに、さっと鳥肌が立った感覚を
今でもよく覚えています。
彼女は信者でもなんでもない子供でした。
幼子は、開かれた聖書の上にちょこんと座って、聖アントニオを見上げていました。
受肉とはまさに、「聖書(みことば)が人の形を取って現れた」ということです。
私の目の前で、次の聖句が実現したと感じました。
『そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれ、仰せになった。
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
あなたは、これらのことを知恵のある者や賢い者には隠し、
幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これはあなたのみ心でした。
すべてのものは、父からわたしに委ねられています。
父のほかに、子が誰であるかを知る者はなく、子と、子が示そうと望む者のほかに、
父が誰であるかを知る者はいません。」』 (ルカ 10:21-22)
(Sr. A. T)