マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-17

 

                   フランシスコ会(小さき兄弟会)の再来日

最初の兄弟たち   キノルド師(左)  ベルタン師(右)

いよいよ、ベルリオーズ司教からローマのフランシスコ会の総長及び本会の会長と交わした「働き手」派遣の約束が実現される時が迫ってきました。総長はとりあえず兄弟2名の派遣を決め、会長は7名の姉妹を送り出す準備をしていました。総長は、札幌に創設される本会修道院の司牧のために派遣するこの兄弟たちをその姉妹たちと一緒に日本へ向けて出発させるつもりでしたが、本会の方は7名分の旅費が集まらず、準備が遅れたために兄弟たちを一足先に出発させることにしました。こうして迫害でフランシスコ会の兄弟たちが一人も見られなくなった日本に、再び兄弟が派遣され、フランシスコ会による日本の宣教が札幌の地で再開されようとしていました。

 

 総長は将来、教区の一部をフランシスコ会に委ねるとの約束も司教から得ていましたので、この新しいミッションの地にヴェンセスラウス・キノルド師を宣教師団の団長とする「諸国民から成る共同体」をつくろうと考え、ドイツ語、英語、フランス語を教える人材の必要性から、とりあえずドイツ語のためにドイツ・フルダ管区出身のキノルド師、フランス語のためにカナダ管区出身のモーリス・ベルダン師を選び、出身管区を超えた「諸国民から成る共同体」の最初のメンバーとして送り出しています。

最初の「諸国民の共同体」メンバー

この小さき兄弟たちが再宣教を目指して横浜港に到着したのは1907年(明治40年)1月7日、目的地の札幌に着いたのは1月19日のことでした。札幌駅で、パリ宣教会のラフォン師と信者に温かく迎えられ、病気のヴェリエ師が待つ教会へ案内されました。教会といっても札幌で唯一のカトリック伝道所で、現在のカトリック北1条教会です。兄弟たちはここで最初の3ヶ月を過ごし、4月の中旬には近くの借家に移り住みました。6月にカナダから2名の兄弟を迎えて3名の司祭と1名の修道士から成る理想的な共同体に一歩近づきました。当時の生活についてキノルド師は次のように報告しています。

 
 
 
 
 
 

最初の家

聖アントニオの祝日に、初めてミサ聖祭が行われた。ご聖体のそばにいると、故郷に帰ったような気がするので皆が心から満足した。この小さな共同体は修道院を組織立て、共同体の祈りと霊的つとめを忠実に行った。寝る前には、聖母が設立間もないこの教会を主の道へ導いてくださるように皆で、クーロン・フランシスケン(フランシスコ会のロザリオの祈り)を唱えた。日本に再来したフランシスコ会の新しい教会は、こうして設立された。院内の会話は、全員が話すことができるフランス語を用いた。活動として先ず語学を教えることから始めた。広告を見て集まってきた希望者は、英語、フランス語、ドイツ語の3つを合わせて110名となった。そのメンバーの大半が農学校の先生、生徒、医者であった。」

このような生活は、やがて札幌に派遣されてくる「フランシスコの娘たち」にとってフランシスコの霊性に基づいた生活のモデルともなりました。