マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

understanding

先日札幌修道院で個人同伴の黙想会が行われ、日常を少し離れてゆっくりとお祈りなさった参加者が、その実りを自由に分かち合ってくださる時間にお邪魔しました。プログラムの最後には恒例(?)の「くじ引き」。私たちは慣習で「くじ引き」をすることがよくあって、主の公現の祝日には「国」のカードを引いて当たった国のために1年間祈りますし、聖霊降臨には聖霊の賜物が書かれたカードを引きます。いつも神様からプレゼントをいただく気分で楽しみなのですが、さて、今回は何のカード?とわくわくしながら見ていると、聖書の箇所を描いた絵画のカードでした。私がいただいたのは、エマオの弟子たちが、パンが裂かれた時にイエスさまだと気づいたあの場面に、”understanding”の文字が書かれたカード。実は最近ばたばたとせわしない日が続いて、とにかく目の前のことをこなすことばかり気をとられていた私。祈りの時にも思わず呟いていました。「神様、何とかやるべきことは片付いていくし、大きな問題も起こらないけれど、私は、ふと気づけば次に何をするかに気をとられてばかり。このままだと私の心を占めるのが、あなたではなくなっていきそうです。何だかあなたが見つかりません」と。そんな時にいただいたこのカードは私にとってひとつの福音でした。
イエスが、「私はいつもあなたと一緒にいたではないか」とおっしゃっているかのように私には思えたのです。私がどんな状況にあっても、イエスは人生の旅路を共に歩いてくださいます。これは人の感覚を超えた真理です。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と約束してくださった主に信頼して生きる恵みを願っています。

Sieger Köder understanding