先日、昨年の5月に被災地で出会った青年と再会した。以前にはなかった髭を生やしている彼を見て、理由を聞いてみたら、次のような応えだった。彼は被災地を後にする時に、現地の青年たちが髭をそることもせず、なりふり構わずに働き続ける姿を見、一方で、これから家に戻り風呂に入りさっぱりとしてビールを飲んで休養するだろう自分がいることに罪悪感を覚え、それ以来、髭を残しているのだそうだ。言われなければ分からなかった彼なりの現地との連帯なのだろう。「連帯」。誰と?何を?どのように?目に見えるものに限界を感じながらも、日本社会の進む方向に不安を覚える今日この頃、私たちはいったい、何を見て、何に触れたのか。
見て、触れたもの…
- 時の流れ
- アトラス山麓への旅