マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

「神様は何語がわかるの?」

この質問は、今私が奉仕している群馬県の小さな教会の初聖体の準備をしているJ君の質問です。

彼は、母親が日本人と再婚したために、最近日本に呼び寄せられた子どもで、まだまだ日本語が上手ではなく、学校で苦しんでいるようです。ゆるしの秘跡の説明で、「神父様は、神様の代わりにゆるしてくださる」と言ったところ、J君は、「神様の代わりにと言うのなら、神様のわかる言葉で話さなければいけない」と考えて、この問いが出たようです。

 そこで、初聖体の準備をしている8人の子どもたちに、「神様とは何語でお話ししたらいいのかしら?」と尋ねてみました。母親がフィリピン人のT君は、「ママは神様と仲良しでよく話しをしているから、きっとタガログ語が神様の得意な言葉だと思う。」と言います。両親がペルー人のMちゃんは「絶対スペイン語」と誇らしげに言います。両親がベトナム人で、1年前くらいに日本に来たばかりのGちゃんは、小さな声で「ベトナム語」と言います。それを聞いていた父親がパキスタン人、母親がフィリピン人の4年生のKちゃんは、「こっちは何語を話しても神様は、きっとわかるんだと思うよ。だって、ママもパパも自分の言葉でお祈りしているから。それより神様の言葉を私たちが、わかるかどうかの方が問題だと思う」と年長者らしい意見を言い出しました。

 「じゃあ、神様の言葉はどんな言葉なのかしら?」と尋ねると、皆、しばらく黙っていましたが、最初のJ君が「神様語、だってフィリピン人はフィリピン語、日本人は日本語を話すから」ともっともらしい返事を出しました。すると、おしゃまな女の子たちは「違うよ。聖書は日本語で書いてあるから日本語が神様の言葉」と言い出しました。強い女の子たちに押され気味の男の子の一人H君が、そっと「でもD君の聖書は、日本語でないよ」と言って、D君のスペイン語の聖書を指さしました。それを見た女の子たちは、顔を寄せ合って何か話していましたが、「神様は、みんな一人一人がわかる言葉で話してくれるんだ。」とうれしそうに言いました。それで皆が納得したようでした。そして最後におとなしいGちゃんが「私がやさしい心の時には神様の言葉がわかるけど、怒っている時には聞こえないみたい。もっと神様の声が聞こえるようになるといいな。」と小さな、ベトナム語なまりのある日本語でつぶやきました。それを聞いた後の6人は、本当にそうだねというような様子でした。

 この一連の会話を聞いて、子どもながらに言葉で苦労している子どもならではの発想に、目が開かれる思いがしました。日本語だけの世界に育った私は「神様が何語を話すのか」という疑問を持ったことはありませんでした。しかし、現在の日本、特に教会は、多国籍、多文化の社会になっています。その中で、共生を求めながらも、分裂や排除が生まれてきてしまっています。この子どものように、神様が一人一人の言葉で語りかけてくださると信じられたら、言葉や文化の違いは問題ではなく、豊かさになり、「多文化・多国籍の豊かさ」を生きることができるようになるのでしょう。

そして、Gちゃんの「もっと神様の声が聞こえるようになるといいな」という言葉が、心に響きました。この言葉こそが、私への「神様の声」だったのではないかと言う気がしています。子どもを通して神様と出会わせていただける幸せを感謝しています。

(Sr.N.H)