マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-89

特高警察の標的となった外国籍の会員-①

 「宗教団体法」の施行と同時に外国籍の宣教者が居住する教会や修道院に対する特高警察の監視は、対戦国となるイギリス、アメリカ、カナダ、ベルギ-、オランダの国民のみならず、その関係者にまで波及していきました。1940年(昭和15年)の統計によると、管区には16国籍64名の外国籍の会員が宣教活動に奉仕していました。

16外国籍64名(61名の会員と3名のアグレジェ)

フランス:17名 オ-ストリア:2名 カナダ:11名 ルクセンブルグ:1名 ドイツ:9名  ユ-ゴスラビア:1名 イタリ-:5名 ハンガリ-:1名 韓国:5名 ポ-ランド:1名   ベルギ-:4名 シレシア:1名 オランダ:2名 スペイン:1名 イギリス:2名   スイス:1名日本国籍101名(49名の会員と52名のアグレジェ)

1940年(昭和15年)9月3日、とうとう管区の共同体にも特高警察の手が入りました。     熊本修道院では、あるベルギ-人女性との関係で院長のM.ディヴァン・パスツ-ルとM.ラファエル(畑原スギ)がスパイ容疑で連行され、警察署に留置されたのです。この女性はイギリス人の夫がスパイ容疑で逮捕されて自殺した後、イギリス大使館に保護されていました。その女性が熊本修道院とかかわるようになったのは、聖母病院で生まれて熊本の乳児院に送られた子どもたちのためにオモチャや衣類を送っていたからでした。その時の様子を修道院日誌は次のように伝えています。

9月11日、共同体が聖堂で黙想中、神父様の世話をしている男性が副院長(カナダ人のM.アマビリス)に「門のところで数人の男性が院長様(スイス人のM.ディバン・パスツ-ル)を探しに来ている」と言ったので彼らを応接間に通した。それは4名の刑事だった。院長が副院長と一緒に応接間へ行くと、そのうちの一人が院長に「外に車を待たせてある。一緒に警察署に来なさい」と命じた。副院長は院長を一人で行かせたくないと思い、刑事に「この人は言葉がよく分かりませんので日本人のシスタ-も一緒に行く方がよいと思います。」と言うと、刑事はこれに同意した。大急ぎでコ-ヒ-をひと口飲み、院長はM.ラファエルに付き添われて車で連行された。警察署に着くと、二人は引き離され、お互いの居場所も分からなかった。こうしている間に、修院では刑事たちが副院長からいろいろな人のことを聞き出そうとしていた。特に例のベルギ-人の女性のことを詳しく尋ね、修院とはどういう関係にあるのかとしつこく聞いた。それから、院長室へ行って取り調べにかかり、引き出しを開けて手紙、書類、会憲まで持ち出した。その中に、共同体と連絡をとり易いようにとM.マグダラが考案した暗号ノ-トもあった(天皇=太陽、検問=ハサミなど)。刑事たちは何か隠し物がないか マットレスの藁の中まで調べた。その中の一人は外国人担当の非常に横柄な刑事で、自分の昇進のために手柄を立てたいと思って必死でシスタ-たちの落ち度を探していた。他の刑事たちは彼よりも丁寧であった。その一人が引き出しにスリッパと丸めた紙が入っているのを見つけた。それは馬に乗った天皇の写真だった。法律によると、天皇の写真は額入りで家中で最も神聖な場所に安置しなければならないことになっていた。まさかこんな所に入れてあるとは誰も知らなかった。院長もこの引き出しを開けたことがなかったし、掃除係の姉妹も何も知らずにこの引き出しに新しいスリッパを入れておいた。このことだけでも敵視されて大問題になり兼ねないのに。この写真を見つけた刑事は一瞬 憤慨した表情を見せたが、直ぐに怒りを抑えて何も言わなかった。この時、例の最も意地悪な刑事はベランダにいた。この事に関してその後、共同体が警察から何も言われないところを見ると、秘密は守られたようだった。このことはただでさえ苦労や心配ごとの多い院長には何も知らせず、額に入れるまではこの写真を本棚の上に置くことにした。