先日、熊本の姉から電話があった。地震は今も続き、震源地が熊本東部から中央区、西区に移動していて怖い、と言う。テレビを見てもほとんど報道されなくなっている中で、不気味に続く地震の中で人びとは今も生活している。
もう、2ヶ月前のことになる。熊本地震が起こった直後、家族の安否確認ができず不安に思う私に、一番に連絡をくれたのは、東北大震災で被災され、会社が閉鎖、いちご農園を一から始められたMさんからであった。翌日には、いちごを無料で提供するから、それを販売して、義援金にしてくださいとの申し出があった。戸惑う私に、教会関係者の方々が、いちご摘み、パック詰め、輸送と販売と、すべてを計画してくださり、その1週間後、私は義援金を携えて熊本の地に立っていた。
あらゆるところに積み上げられた災害ゴミ、つぶれた家、青いビニールが多くの家の屋根を覆っている。見慣れた私の故郷の風景はどこにもなかった。熊本の東部にある出身教会は、赤紙が張られ、益城の信徒さんの家の周りは一軒残らず、つぶれている。夢を見ているかのような錯覚に陥っていた。現実に戻されたのは、繰り返す地震によって・・だった。
義援金とともに、託されたメッセージをそのまま伝えることが私の役目だった。被災された東北の人びとからのことばに、うつむき、静かに涙する方たちの姿が目に焼きついて離れない。
人事ではない、その想いが、間髪をいれず、私のもとに届けられ、それが熊本の被災者に伝わっていた。苦しみを通った人びとだけが、伝えることができることばは、深く、あたたかかった。
イエスは今も生きて、働いておられる、人びとのうちで、それも苦しみという神秘の中で・・
クーロンヌフランシスケン(フランシスコ会の7つの喜びのロザリオ)
第五の黙想 イエスを聖殿で見出した時のマリアの喜び