私は24歳で洗礼を受けたのですが、私の人生でいちばん多感な時期はちょうど70年安保の頃でした。革マルや学生紛争など過激な衝突がしょっちゅう起き、いろんな主義主張が対立するなかで、若者は絶対的なもの、自分を賭ける価値のあるものを探しながら、悩んでいた時代でしたね。その頃、熱心なプロテスタントの信徒だった学校の寮の先輩に誘われて、時々礼拝に行くようになったのが、キリスト教との最初の出会いでした。受洗も考えましたけど、いまひとつピンとこなかった上に、両親や当時付き合っていた人から反対されたこともあり、あきらめてしまいました。その後卒業し、お茶の水の病院に検査技師として勤めていた頃、四谷の麹町教会で開かれていた青年対象の集いのチラシをもらったのがきっかけで、参加するようになりました。そこでたくさんの青年たちとの出会いもありましたが、その頃は“真理とは何か?”なんてことを求めて悩んでいる私にとっては、純粋な幼児洗礼の若者などを見て、うらやましいような、物足りないような気持ちになっていました。そんな感じで約1年間ぐらい通った後で、実家の小田原に近い横浜の病院に勤めるようになり、今度は通勤の駅の近くにあった小さなカトリック教会に行くようになりました。そしてそこでもコロンバン会のアイルランド人の神父様から要理の勉強を受けましたが、なかなか受洗を決めかねていたところ、勉強がひととおり終わる頃、神父さまが「もうテキストは終わるけど、無理にいま洗礼を受けなくてもいいですよ。」と言われて、自分でも思いがけなく「洗礼を受けさせてください!」と言ってしまいました。
* ご両親の反応は?
以前プロテスタント教会での受洗を望んだときは大反対だったのですが、この時は渋々ながらゆるしてくれました。後でわかったことですけれど、母の兄はアメリカに住んでおり、奥さんは熱心なクリスチャンだったそうです。その伯父が帰省した折、母が私のプロテスタントでの受洗騒動について話したところ、「自分だったら娘の自由にさせるけどな…」と言われたことが、ずっと心に残っていたということでした。たぶんそのことが受洗をゆるされた大きな理由だったと思います。でもやはり母は、私が洗礼を受けたら「どこか遠くへ行ってしまうような気がしていやだった…」と言っていました。
* 修道生活を考えたのは?
実は受洗した時にはそれほど感激はしなかったのですが、代母になってくれた教会の友人に誘われて、受洗後まもなく桐生のフランシスコ会修道院で毎月1度行われていた静修の集いに行くようになりました。これは老若男女誰でもどうぞという集まりで、アメリカ人の陽気な神父様たちや、日本人の楽しい修道士さんたちと一緒に、ギター伴奏の聖歌を歌ったり、祈ったりと、とにかくすべてが新鮮で楽しかった!! それまで安保に始まり、真理とは何かを追求し、キリスト教について何年も学び…思えばいつも眉間にしわを寄せてきたのが、「これも同じキリスト教?」と、一気に肩の力が抜けた感じでした。それでも、まだ修道生活のことは全然考えず、その友人が修道院に入りたいと言い出した時には、「そんな親不孝はやめなさいよ!」と反対したくらいでした。その頃は自分なりに、人間として、信徒として、職場でも自分は十分よくやっていると自負していたんですね。それが、ある日父が病気で倒れたことをきっかけに、自分の自惚れに気づかされて、ほんとうに打ちのめされた体験をしました。私はどれだけ自分中心に生きてきたんだろうと…。このあたりから人生の路線のポイントが「ガチャン]と音を立てて切り替わってしまったみたいで、行き先が見えなくなってきてしまいました。そしてだんだんと、自分に与えられた検査技師という仕事を通して、一生を神様にささげたいと思うようになったんです。それから知人の紹介で病院関係の奉仕を主にしている修道会と連絡を取るようになりました。すっかり入会するつもりで、せっかちな私は勤めていた病院もさっさと辞めてしまったのですが、両親はもちろん大反対、色々と相談していた桐生の修道士さんからも、もう少し時間をかけるように言われ、ちょうど桐生の黙想の家のお手伝いを探しているということで、そこに勤めることになりました。数ヶ月間だけでしたが、朝晩フランシスコ会の兄弟たちと一緒に祈る生活を体験し、そのときちょうど黙想に来ていたFMMのスペイン人のシスターと初めて会ったんです。それから、家に戻った後も戸塚の修道院に何回か遊びに行くようになりました。そうこうしているうちに、はじめは戸塚の聖母の園老人ホームに勤め、続いてその頃戸塚の修道院がしていた女子寮に住んで、聖母の園保育園に勤めることになりました。保育園ではほんとうに熱心ですばらしい先生たちと一緒に学びながら働き、寮生活ではちょうど上の階に住んでいた修練者たちの聖書の勉強などに一緒に参加させてもらったりしながら、だんだんと修練者たちの明るさ、最初に出会ったスペイン人のシスターの自由さに惹かれていったんだと思います。私自身も自分から自由になりたかったし、きっとここが自分の居場所だと感じたんでしょうね。
*入会を決めてからはどのように?
両親には両手をついて頼みましたが、当然大大反対でしたので、結局家出同然で入会した感じでしたね。だから、期待に胸ふくらませというよりも、両親の気持ちを思う後ろめたさ、辛さがずっと続き、長い間後ろ向きに生活していたように思います。やっぱり帰ろうと思うこともたびたびでしたが、ある日ほんとうに帰り支度をしていた時に、ふと「私は自分の弱さを見せられる度にそれが自分のすべてになってしまうけれど、神様は私の中にあるたった0.1%の可能性でも信じてそれに賭けてくださっている!」と感じた瞬間があったんです。そして、そこからまたやり直し、いままで何度も神様によって少しずつ軌道修正されてきたように思います。両親はずっと心配しながらも見守ってきてくれましたが、終生誓願後しばらくしてから帰省の折りには、父が「もう終生誓願というのも終わって、充分やったんだから、そろそろ帰ってきたらどうだ。」と言ってましたねっ。振り返ってみれば、神様が創ってくださった私自身になっていくために、他の道は用意されなかったんだと思いますし、私はいまの私に満足しています。
私は長い間、真理とは?自由とは?キリスト教とは?を探し、葛藤してきましたけれど、いま振り返れば、ずっと私にとっての“キリスト自身”を探し、出会ってきたんだと思うんですね。頭から入った道ですけれど、理屈ではなく私の特別な存在としてのキリストと出会い、一緒に歩いてきたんだなぁと思います。人生にはいろんな道があると思いますけど、この生活はキリストに出会うための素晴らしい道ですよ!